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親子の事情〜子どもはいつまで子どもなのか?

信号無視をする大人

私は、東京のベットタウンに住んでいるので、最寄駅には朝夕の利用者がたくさんいます。その駅の手前に横断歩道があります。それほど車通りが多いわけではないので、急いでいる時は、信号が変わるまでの時間が長く感じます。何人かは赤信号を無視して、横断歩道を渡ります。もちろん、ほとんどの人は大人です。何気ない風景かもしれません。しかし、信号無視が幼稚園児だったら、どうでしょうか。注意をするかもしれませんね。
このように大人はルール違反を許されても、子どもはルール違反を咎められることは少なくありません。
この根底には、「大人はわかっている」「大人は大丈夫」「子どもは危ない」という思想があるように思います。
本当にそうでしょうか?

校則はなんのためにあるのか?


学校の指導や校則も然りです。
教師からの体罰や明るい髪の色の生徒に黒に染めるように指導したという話は毎年のように耳にします。
私が中学生の頃は、男子は全員丸刈りという校則がありました。特に不思議に思うことなく、校則に従っていました。私は野球部だったのですが、先生から殴られたこともあります。
これも「そんなものかな」という具合で、憤りを感じることはありませんでした。よほどの大怪我でもさせない限り、保護者が学校にクレームを言うこともありませんでした。
昨今は考え方も変わっているようです。
茶髪を黒く染めるよう繰り返し指導され、精神的苦痛を受けたとして、元女子生徒が大阪府に損害賠償を求めた事案があります。結果は、一審と二審とも、指導は適法であるという判決が出ています。
ならば、これからも黒髪指導は継続すればいいのかという話ではないと思います。もちろん、黒髪指導を否定しているわけでもありません。
大切なことは、その指導が生徒の人生をよくするものであるかないかということを振り返ってみることでしょう。
校則は、いつの時代に誰かが決めたもので、時代と合っていないこともあるでしょう。時代にあっていない校則を、人権侵害など批判的な見解から改めていくだけでなく、より良い人生を歩むための見直しが必要だと思います。前例踏襲をしているだけでは、思考停止と言えます。
こうした話を私がするまでもなく、校則の見直しや教師と生徒との関係性は変化しています。部活動の指導方法もよりよくなっていると思います。こうした動きは、教育委員会や現場の先生方の真摯な考え方によるものでしょう。
問題があるとしたら、家庭での教育のあり方に変化がないということではないかと思います。

子どもが大人になる時、親が一人の人間になる時

親は子どもを教育するものだと思っていましたが、人生はいくつになっても学ぶことがありますし、年齢に関係なく気づきを与えてくれる人はいます。
子どもから学ぶこともあります。これも、親であることの醍醐味でしょう。
子どもが成長することで親にご褒美があるとしたら、無理をしなくてもいいということでしょうか。
親も人間。そう思ってもらえた時が、子どもが大人になった時だと思うのです。

人生に正解があるのかどうかはわかりませんが、少なくとも私にはわかりません。

娘の結婚相手が、娘を幸せにしてくれるのかどうかはわかりません。学歴や仕事、収入なんかで人物像が完全にわかることはありません。結婚してみないとわからないというのは本音です。

会社を辞める方がいいのか、続ける方がいいのかもわかりません。失業しても、自営で復活することもできるので、結局のところ、やってみないとわかりません。

親だって正解がわからないのです。

その前提で、子どもが相談をしてきたら、自分の考えを話す。大人になった子どもに親ができるのはその程度のことでしょう。そして、子どもが困ったら、全力でサポートをする。それが親の責任かなと思います。


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