空気が読んでもらえない時

コンビニのレジで162円の買い物をして、212円を渡したら、5枚の10円玉でお釣りをくれた。

一瞬、えっ?と思ったが、「50円玉で欲しいのですけど」と言ったら、「そうですね。」と50円玉に交換をしてくれた。

たぶん、ささくれだっている時代の僕なら、「普通、50円玉を渡すだろ」と怒りつつ(心の中で)、10円玉5枚を財布に入れていたと思う。

人が「普通」と言う時は、自分の考えと違い出来事が起こった時だ。「俺だったらこうする」「きっと他の人もそうするはずだ」と思った時に、「普通」と言う。類語は「一般的には」となる。

しかし、店員さんにも都合があったのかもしれない。50円玉がなかったのかもしれないし(変えてくれたのでそれはないか)、もしかしたら、50円玉が1枚しかなかったのかもしれない。1枚あるなら渡せばいいだろうという話になるかもしれないけど、その後に僕がコピーを取るかもしれないと予測した可能性も捨てきれない(そんな可能性は少ないけど)。いずれにしても、お釣りは金額を間違っていない限り、店員さんの裁量である。

生きていると空気を読めない人に出会うことがある。

電車内で、携帯電話で話している営業マン、チェーンカフェでzoom会議に参加している機密情報だだもらしのビジネスマンだけではない。上司の指示に「何の意味があるんですか?」と言う新入社員。

そもそも空気を読むって何だ?

空気は、読む方と読まれる方に分かれる。前者は立場が弱く、後者の方が強い。相手に対して空気を読むことを要求するのは、自分の立場が上だと認識している時だ。だから、弱い僕らが組織で生き残るためには、場を支配している人の空気を読むことが必須になる。だからと言って、弱い立場の人に空気を読ませようとするのは、得策ではない。空気を読んでストレスを溜めて、空気を読めない人にストレスを溜める。

世の中、普通でなく、一般的でない人はいる。もしかしたら、僕らも空気を読めていないかもしれない。空気を読めない人がいたと思ったら、こちらが空気と読んであげよう。それがコミュニケーションというものだ。


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