目に見えない病気

先日、こんな本を読みました。

精神疾患をもつ人を,病院でない所で支援するときにまず読む本 | 書籍詳細 | 書籍 | 医学書院

https://www.igaku-shoin.co.jp/book/detail/107285

小瀬古 伸幸『精神疾患をもつ人を,病院でない所で支援するときにまず読む本』
精神疾患を持つ人を支援する方向けに書かれた本ですが、支援者に限らず私たちの日常生活にも応用ができるなぁと思った。

例えば、精神疾患を持つ親の介護、子育て、友人付き合いなど。
今や、精神疾患を持つ方は珍しくないから、普段生きている中でそういう方たちと関わる機会は誰にでもあると思う。だけどその方達とどう接していいのか、分からなくなる時がありませんか?

特に身内に精神疾患を抱えた人がいたら、自らが支援をしなければならない場面が生まれる。
だけど専門知識を持たない私たちは、ついつい感情的になってしまったり、自分の価値観を押し付けてしまって関係性が悪くなってしまう。でもそれって、仕方のないことだと思う。

かく言う私もその1人。今回たまたま読んだこの本に気付かされたことが多くあったので、記事にしたいと思いました。最後までお付き合いください!

■イネイブリングとは?
まず、私たちが支援をする上で目指すべきゴールってなんだろうか。
支援をしていると、終わりなんて永遠に来ないような感覚に陥る時がある。ですがこの本は、それは違うと言う。では、目指すべきゴールとはなんなのか。

それは「被支援者自身が自分自身の専門家になること」
被支援者自身が自立をし、自分自身の責任で生活を組み立てられるようになること、それがゴールだと言う。

ですが、それってどうするの?って話。この本では具体的に「こうしなさい」と言うよりも、「こうしてはいけない」という例が示されていた。

それを総称して「イネイブリング」と言うらしいです。

イネイブリングとは、「支援者が、良かれと思ってやっている行動が、結果的に相手の抱える問題を進行させてしまう行為」のことだ。

実際にいま、私もその状況にいます。
(詳細についてはまだ話せませんが…)

例えば、飲酒を中々やめられない家族が、近所の飲食店で無銭飲食をしたとしたら、あなたはどうしますか?この本では、担当するヘルパーさんが飲食代を立て替えてしまった例が紹介されていた。

これって一見正しい支援のように見えるが、本人の行いに対して、本人自身が責任をとっていない。これを繰り返していくと、無銭飲食をしても本人は誰かに迷惑をかけている自覚が生まれず、その問題行動を取り除くことが難しくなるという。

さらに、毎回責任を取るのは支援者ですから、支援者は被支援者に対して、「もうそんなことするな」と何度も言い聞かせる。しかしそれで治れば苦労はありませんから、被支援者は再び同じことを繰り返す。そうして支援者との関係が悪化する。飲酒に限らず、そう言った例は私たちの日常においてもよく見られる構図でしょう。

私にもよく当てはまるなと感じた。
GHの話だったり、訪看だったり…(省略しますが)
決して、支援者を悪く言うつもりはありません。
でも納得できないところや、それって精神疾患を抱える人に対する言動や態度なの?と思う場面も多くあります。正論を振りかざすなって思う時もあります。

また、薬物依存者の例もありました。家族が内服管理をしていても、被支援者はどこかから薬を見つけ出しては過剰摂取してしまう。お金を取り上げたとしても、どこかからお金を調達してきてでも薬を過剰に摂取してしまう。

これも私に当てはまります。
訪看さんの目をすり抜けては薬を貯めてODするなど…
ここで出てくる、「尻拭い」「管理」「一方的な約束」これらは全て「イネイブリング」だとこの本は言います。

じゃあ具体的にどうしたら良いのでしょうか?

■4つのポイントを意識しながら傾聴し、被支援者と共有する

被支援者にとって有効な働きかけができていないのであれば「本人の主体性を取り戻す」という目的につながるような働きかけをしなければならない。

そのために、以下の4つのポイントを押さえた「傾聴」をする必要があると言う。
私は周りの支援者で、傾聴を全くしてくれてないなと思う人がいる。希望は聞くけど否定するみたいな…。

①本人の「希望」は何か
②調子が悪くなる「キーワード」「キーパターン」は何か
③「いい感じの自分」とはどのような自分なのか
④「元気を失いそうな注意サイン」「引き金」は何か

①本人の希望は何か
本人が「どんな生活をしたいのか」「どんな人生を送りたいのか」というところに焦点を当てて利用者と支援者でそれを共有する。最初は中々具体的に言葉にするのは難しいですから、小さな目標から始めていく。「健康に過ごしたい」というような漠然とした目標でもいいだろう。2人でそれを握り合うことができれば、先ほどのような飲酒の方の例においても、「アナタが立てた目標に対して無銭飲食という行いはどうでしょう?」と問いかけることができる。ここで大事なのは、こちらが答えを与えないことです。ひたすら傾聴し、本人が自立的に自らの行いと向き合えるように支援する。

② 調子が悪くなる「キーワード」「キーパターン」は何か
調子の波について語られる時、被支援者から頻繁に同じ「キーワード」が出てくることがあると言う。「父親が帰った来た時」「就寝前」「テレビを観ている時」など、調子が悪くなる時にいつもそばにある「キーワード」や「キーパターン」に本人が気付けるように質問、傾聴していく。

③ 「いい感じの自分」とはどのような自分なのか
人間誰しも調子の波はある。普段私たちは「いい感じ」の時ほどあまりその状況を意識せずにいますが、それを意識化し、言語化することが大事だと言う。「いい感じの自分」である時はどんな自分なのか、そのために普段何気なくやっていることは何かなど、自分が「いい感じ」になるために行っていることを「リスト化」する。そして、「いい感じの自分」になるために「毎日するといいこと」「時々するといいこと」を具体的に聴き出し、一緒に「リスト化」する。

④ 「元気を失いそうな注意サイン」「引き金」は何か
「いい感じの自分」と同じように、元気を失いそうになる注意サインや引き金を言語化し、共有する。「外に全く出かけなくなること」が、自分の具合が悪くなっていることを示す「注意サイン」だとしたら、それが現れた時に「このように対処するとやり過ごせる」という対処法を決めていく。さらによく掘り下げれば、いきなり「外に全く行かなくなる」のではなく、その前に外出頻度が減少したり、外出先での滞在時間が短くなったりと、自分の具合が悪くなる前段階となるサインがあることも分かったりする。そうなれば危機的状況に陥る前に自分で対処することができ、最悪の状況を阻止できる。

■自分の専門家は自分
大切なのは、とにかく「被支援者が自分で気付けるように支援していく」こと。周りから見た「問題行動」は、本人には見えていない盲目な部分だ。本人の見えていない「盲目な性質」によって「問題行動」が生じているとしたら、本人の気付かぬうちに「対処」や「尻拭い」をしていては、被支援者は一生その「盲目な性質」に気付くことができない。その「問題行動」は「本人の責任」なのですから、「本人が結果に関与する」ということが絶対に必要になる。

「本人に気付かせる支援」は口で言うのは簡単だが、実際はかなりの時間を要する。忙しくて、ついつい「対処」してしまい、「その行動をしないで!」と感情的に指摘してしまいガチですが、長期的に見たら、1つ1つ、スモールステップで支援していくしかないのだ。


ここまで読んで下さった皆さんでしたらお気づきかもしれませんが、精神疾患を持たない「我々」だって「盲目な性質」はあり、他人の目から「問題行動」として捉えられる瞬間はある。支援者に回るとついつい上下関係があるかのような錯覚をしてしまいガチですが、私たちも「様々な性質」を抱えた同じ人間であることに違いはない。彼らは「かわいそうな人」「私たちに支援されるべき人」というスタンスではなく、「本人の自立」を信じて、寄り添った支援ができるよう心がけなければならないだろう。

かく言う私も、この本を読んで学んだ気になっているだけだ。明日から早速実践してみようと思う。

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