棚の本:水車小屋のネネ
津村記久子さん、自身最長の長編小説。
谷崎潤一郎賞を受賞されました。
くまとら便り
津村記久子さんは、時々読んでいて、棚にも「この世にたやすい仕事はない」を置いたことがあります※。日経新聞(電子版)の連載小説でした。
「水車小屋のネネ」は、毎日新聞夕刊で連載されていました。
「誰かに親切にしなきゃ、人生は長く退屈なものですよ」という帯の言葉が、じんわり染みるお話です。
タイトルについて書きたいと思います。
「ネネ」
まず、「ネネ」は鳥のヨウムです。
棚主は昔、台湾のお茶屋さんか香港の公園で、そのオウムのような鳥を見たような(見ていないような)気がします。
ふんわりした記憶では、その鳥は、スタンドの上で大人しくしていて、片足がチェーンで繋がれていましたが、一見すると、逃亡しそうな感じも不自由な感じもありませんでした。
オウムだったかも知れない。
ヨウムは、オウムと同じく、寿命がとても長い鳥です。
そんなに長生きなら、棚主が見た鳥も、たまには飛びたかったかも。
50年だと、1世代では、飼うことができない、ということになります。
ちなみに「飼う」は、辞書では「動物を、えさをやったり世話をしたりして養う」と書かれていました。
ヨウムは、ひとりではなく、誰かと一緒に世話をする鳥ということになりますね。
物語は、理佐(18歳)が律(8歳)とともに家を出て※※、そば屋さんの求人に応募し、ネネの「世話じゃっかん」を任されるところから、始まります。
それからの姉妹と周辺の人々(と鳥)の40年が描かれます。
鳥のヨウムは、とても賢く、3歳〜5歳くらいの知能があるそうです。
ズーラシアのヨウムのページには、こんな記述があります。
ヨウムは、時代の要請「コミュ力」を備えているのですね。うむ、なるほど。
ネネも、世話をされるだけの存在ではなく、水車小屋で言葉を使って仕事をし、子どもの相手もします。貧窮問答歌の冒頭も誦じます。
時々、本当にいいタイミングで、いいことを言います。
「水車小屋」
ネネのいる水車小屋では、石臼でそばを挽いています。
1981年の水車小屋は、エコやオーガニックという言葉からは、全く遠く感じます。
字義どおりの施設なのに不思議です。エコやオーガニックとは、文化的な文脈が違うからなのか、はたまた。
文脈ーということでいうと、理佐と律の住む場所は、物語の文脈から、川があり、そばが美味しく、農業が盛んで、人が温かく、とても住みやすそうです。
読んでいて、水車小屋はどこの場所にあるのかなと、気になっていました。
実在の場所をモデルにしたかもしれないし、そうだといいなと。
物語の終盤に、姉妹(48歳・38歳)と年老いたそば屋の女将・浪子さん(83歳)が、石畳の長い勾配があり江戸時代の街並みが残る、近くの観光地へ行くのですが、なんとなく、木曽路・馬籠宿のような気がして、水車小屋はこの辺りだろうか、と考えたりしました。
棚主が水車を見た場所で、今思い浮かぶのは、長野の安曇野と新潟の十日町です。
安曇野で見たのは、わさび農場の水車小屋で、十日町は「へぎそば」という布海苔の入ったそばを出す小嶋屋総本店の水車で、回らない展示用でした。
どちらも、いい所でした。
水車がある場所は、少し地味だけど大丈夫そうだなと思ったりしました。
自然と文化があって、人にとっていい所そう。
とりとめないままに。
それでは、また。
※※ 「水車小屋のネネ」もそうですが、棚主活動で読んだ最近の小説では、母性の不在や動揺が描かれた小説が結構多いな、という印象があります。
父性の不在は、昔から小説のテーマだったようですが。
今回の棚には、母親にネグレクトされる少年を超リアルに描ききった、桐野夏生「砂に埋もれる犬」を置いています。
あたたかい雰囲気の「水車小屋のネネ」とは、全く違ったシャープな作風ですが、テーマとしては通底するものがあるように感じます。
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