ロックダウン哀歌

この話はフィクションです。

あるひ、ロックダウンから膝をねじられ、ねじりながらスイープを試みられました。相手は私の足をロックダウンしつつ、私の逆の足をスクープしてスイープを試みていて、明らかに膝がねじられていました。痛いなあと思いながらよいしょと対処しました。これくらいの実力差なら噛みつきまでは許す派です、私は。なお二カ月たってもまだ痛いです。

帰宅する道すがら、その日の様々なスパーリングを脳内で反芻していました。私はその日のスパーリングの記録を脳内で再生する能力を身に着けています。映像派と文章派があると思うんですけど私は文章派です。情報の圧縮効率がいい。そんななか、あれ?もしかして、自分の膝、違法にねじられていなかったか?と思い至りました。自分の記憶では違法なことをされたことになっているけれど、私は自分の娘の名前すら毎日間違える男なのでそのポンコツメモリーが謎の補正をかけて記憶違いが起きているに違いない、そもそも相手は高名な先生方からも認められている人だし、そんな違法なことをするはずがないと自分を戒めました。自分の柔術メモリーが壊れているのだろうと。ポンコツでもう使い物にならなくなったものだ、と。20年よく頑張った、頑張ったよ、よくぞもってくれたと範馬勇次郎戦の前日のおろち独歩のごとくしみじみお疲れさんモードでした。おろちどっぽは翌日心臓止まってたしもう引退だね、と。

しかし、自分の柔術メモリーは商売道具であり生きがいであり、壊れていたら困る、そもそもめっちゃ膝が痛い、と思いなおし、ふたたび出会ったとき、五分のスパーリングで20回くらいハーフの展開に持っていって、じっとその姿をみつめて、ああ、やはりロックダウンから違法に膝をねじられているようにみえる、と確信したものです。自分の弟子以外に注意するのはものすごく高慢にみえることなのでやらないけれど、しみじみと見つめたものでした。しみじみと。
ロックダウンからの膝ねじり、令和の世でもまだいたとはびっくりしました。しみじみとシーラカンスをみつめたものです。

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