見出し画像

明日は我が身

1995年1月17日5:46
2005年3月20日10:53
2011年3月11日14:46
2024年1月1日16:10

 いちばん最初の阪神淡路大震災。これは体感こそしなかったものの、その瞬間のことは、いまだ不思議と鮮明に記憶している。
 大学4年の冬、日課としていた井の頭公園内ジョギングを終え、ボート場前でストレッチをしていた。ふっと柱時計を見上げ、「ああ、5時45分を少し過ぎたところか」って思ったことまで記憶している。帰宅して、シャワーを浴びて、ひと息ついてテレビをつけたらあの惨状だった。

 福岡西方沖地震は、佐賀に住んでいたときのこと。4歳の長男と2歳の次男を連れて、近所のスーパーで買い物をしていた際に起きた。人生で感じたことのない揺れ(震度5弱)に襲われて、子ども2人をその場にしゃがんで抱え込んだ。棚からバタバタと商品が落下してくる中、必死に子どもたちの頭を守ったが、何が起きたかわかってない生意気盛りの長男が「なんだよー、放せよー」と叫ぶ。次男はきょとんとしていた。かわいい盛りだった。

「神保町のカレー屋に行こう」と宮崎正博さんに誘われて、行ってきた。「チーズカレーが美味いんだよ」という言葉を信じて食べてみたが、“もたれ知らず”の自分が、人生初モノにやられた。
「ちょっとひと休みしますね」と言って、机に突っ伏して寝始めた(昼寝は大事です)ときだった。建物ごと下から何か大きなもので突き上げられているような状態。マジでゴジラか何かに襲われているような感覚。この世の終わりを予感した。
 もちろん飛び起きて、逃げようとしたが、宮崎さんはなぜかテレビを押さえてる。
「そんなんいいから早く逃げましょ!」と諭して、ビルを脱出した。
 地上で収まるのを待ち、ふたたび編集部に戻ってみると、空襲にでも遭ったような惨劇。自分の机は背後にある本棚に押しつぶされていた。震度5強でこれだ。あれ以上なんて想像を絶しすぎて、考えただけでも体が震えてくる。東日本大震災は、いまだにトラウマが残る。

 先日の能登半島地震は、友人と電話で話している最中に起きた。わが家(小田原)は幸い震度3だったが、それでもアイスリンクを滑っているような横方向への動きを感じた。

 毎週楽しみにしている『問わず語りの神田伯山』(TBSラジオ)の先週分をradikoで聴いた。話題は宮台真司と東出昌大。ネットニュースを毛嫌いしている自分には、パッと聴きわからなかったが、まあ聴いているうちに理解して、あの話術の虜になって大爆笑した。
 伯山師匠は完璧に下衆を装っていたけれど、その裏にある“真意”を聴き逃してはならない。おそらく大半の人は、自身の下衆魂を掻き立てられて笑うんだろうけど。
 両氏ともに、当事者間で納得や修羅場があればよいことで、いずれにしてもわれわれ“関わりのない”人間にとってはどうでもいいこと。「怒る」なんてもってのほかで、そんな感情になる奴って“やっかんでる”だけだと思う。これは、いまだ世間を賑わせている松本人志の件についても同様だ。もう、「ここぞ」とばかりに乗っかっていくハイエナのような者どもの醜さたるや……。

 いま、この瞬間を生きることを噛みしめる。いま、目の前にある食事を慈しむ。
 被災されて苦しんでいる方々が、1日も早く、日常を取り戻すことを祈る。今の自分のように、普通に食事できる日がふたたび来ることを願う。そして、「明日は我が身」と思いつつ、目の前の食事に食らいつく。

ボクシングの取材活動に使わせていただきます。ご協力、よろしくお願いいたします。