あれからまもなく1ヵ月……
※写真は7月8日昼過ぎ。校正を終えて、印刷所の担当氏の到着を待っているとき。ちなみに写っているのはワタシではない
いつもなら、編集作業真っ只中、ラスト4、5日といった今日。『ボクシング・マガジン』に参加して15年あまり続けてきたこのサイクルが、ない──というのは、何だか不思議な心持ちである。
まあ、だいたい毎月この日は取材が入っていた。いや、校了(印刷所にすべて預けて終了)前日の取材もざらにあった。しかし、月内に取材を終える──というのが、“あってないような”暗黙のルールだったから、「え、まだ取材あるのー!」ってびっくりした藤木邦昭編集長がガタっと立ち上がるのも無理からぬ話である。
しかし、ここからが宮崎正博氏との「どっちが忙しいか」争い。「いやー、まだ明日も明後日も取材あるんすよ」って言えば、「俺だってねぇ、まだこんなに書いてないもんがあるの!」ってミヤちゃんは明後日の方向から反撃してくる。互いに相手の投げかけに答えない、いつも全然噛み合わない会話が、なぜかこのときだけは妙なところで噛み合う。挙句の果てには「手をつけてない、残り担当ページ数」争い。少ないほうが“勝ち”のはずが、ふたりの間では多いほうが優位みたいな。まったくもって“低レベル”な、無意味な競い合い。藤木編集長が頭を抱えてデスクに突っ伏した図、他の編集部の“こいつらとは目を合わせてはいけない”という笑いをかみ殺した姿は想像に難くないだろう。……でも、そんなすべてがすでに懐かしく思えてしまう。
と同時に、「こんな状態で本当に本、できんのかよー」っていう強烈なプレッシャーからの解放感もある。いや、毎月計画的に早めにきちんと動いていれば、そんな精神状態になるはずないのだが、いったんでき上がった“リズム”は、なかなか変えられない。マガジンの15年だけでなく、遡って『ワールド・ボクシング』時代から、体に染みついている“癖”なのだから。
普段、ボクサーたちに「平坦なリズム」だの、「ワンパターン」だの辛辣に書いたり言ったりしてるくせに……。
「あれほどスピードがあるんだから、速度の上げ下げをコントロールできたら、とんでもないことになるよね?」──。田中恒成選手、桑原拓選手、あんな一流選手に、こんなにだらしのないおっさん記者が、ついつい進言してしまうのは、冷静になった今考えるとまったくもって赤面である。でもきっと、これからも言ったり書いたりしちゃうんだろうけど。
でも、ある意味、ボクサーたちと似たスケジューリングをしていたんだなぁとも思う。試合の日=校了日、そこからの“逆算”で動いていたわけだから。直前にドタバタと“帳尻合わせ”をしたこともあった(大半か?)が、1日、半日、数時間、数十分、いやラストはそれこそ分刻みの調整を自分なりにしていた。本当は焦らなきゃいけないはずなのに、自分で立てたタイムスケジュールにピタッぴたっと合わせていくことに快感を覚えたりしていたもの。選手たちの調整も、きっとそんなテンションなんじゃないかなぁ、とも思う。
“リミット=締め切り”があるって、第三者からすれば「窮屈そうだなぁ」なんて閉塞感を想像するかもしれないが、そんな生活からいざ離れてみると「ああ、やっぱりいいなぁ」って、感じる。ひとまずのゴールがあって、ほんの少しの安らぎがあって、また新たな始まりがある。だからこそ、頑張れる。ご褒美のマックとか。
自分にとって、こんなに大きなものを失ったのだけれども、「ぽっかりと大きな穴が開いて、何をする気も起きない」といった空虚感はない。
Twitter、Facebook、Instagramというボクシング・マガジンのSNSも引き続き稼働しているし、WEBも続行中だから。これはちょっとした意地でもあるし、やっぱり「何かをしていたい」という気持ちもあるから。“何か”をやってなきゃ、社会とのつながりがなくなってしまうからね。
ただ、SNSも現在のWEBも、言ってしまえばボランティア。「やってくれ」と頼まれているわけではなく、本当にただ「繋いでおかなきゃなぁ」って想いだけ。だから個人的事情をふまえて、取材に行ったり行けなかったりという取捨選択を迫られている。取材に行きたくてしょうがない、そんな気力は充分あるのにできないというのは、なかなかの苦しみだ。本当にあちこち飛んで回りたいんだけどね……。でも、現在の状態では、「やれることをできる範囲でコツコツと」やるしかない。楽しみにしてくれている方々には本当に申し訳ないのだけれども。
ただ、“次の展開”は徐々に見えてきつつある。今年中にはなんとか始動できそうである。その際には、これまでお世話になった方々、ひょっとしたら、読者のみなさんにもご協力をお願いすることになるかもしれない。でも、情熱はまだまだ燃え盛っている。火の大きさは、日を追う毎に大きくなっている気がする。抱いている構想が実現すれば、みなさんの期待に応えることができるはず。その自信はある。
で、ここからは本当に超個人的事情。ボクシング・マガジンが休刊となって以降、心底心配してくれた“同志”から、いくつかありがたいお話をいただいた。けれども“この先”のことを考慮して、いったん保留していただいている状態。しかし当面は、収入のない生活が続く。
『ワールド・ボクシング』編集部に入る前、そして『ワールド…』を辞して妻の実家のある佐賀に、子どもたちも連れて家族で帰った数年。阿佐ヶ谷や小田原のスーパーで働いたり、佐賀県多久市の工場で働いたり、サガン鳥栖の運営会社で働いたり、様々な業種・業務に就いた。スーパーで働いていたときは、「ボクシング記者になる!」という夢を抱いたまま、工場のときは「無心」、サガン時代は「生涯」のつもりだったから、今の事情とは異なるけれど。
今回は、はっきりと「数ヵ月の腰掛け」になってしまうから、とても都合のいい話。それはまだ見ぬ先方に本当に申し訳ないのだけれども。でもそんな感じだから、また全然違う世界に身を投じてみるしかないのかもしれない。
いや、このnote記事が爆発的な売り上げをしてくれたり、サマージャンボ宝くじ(買ってないけど)で大当たりしたりしたら話は別だけど。
人生、安泰なんてことは、これまでも、一瞬ですらなかった。常に常に崖っぷち。そこをソ~っと歩く、いや怖いからこそ走り抜けてきた。家族には、その周囲の人たちには本当に迷惑をかけどおしで合わせる顔もないのだけれども。
でも、齢50歳からの、逆回転をかけての生き残りを目指して。少しは家族に良い想いをさせたいという想いもこめて──。
ボクシングの取材活動に使わせていただきます。ご協力、よろしくお願いいたします。