深夜

深夜の考えごと

 夜が深くなってくると、どうしてかそわそわしてしまう。朝よりも夜のほうが神秘的だし、なによりもこのまま目をつむって知らない間に朝を迎えてしまうのが、なんだかもったいない。眠らないでいると、翌朝に響く、ということは、重々承知してはいるものの、深夜の、家族が寝静まった頃のシンとした自室で本を読んだり、文章を書いたりするのはとてもわたしにとって魅力的なひとときだったりする。


 決して夜型とかではないけれど(むしろ朝に仕事をしたい派)、たまに眠れなくなった夜とかは、ぞんぶんに夜更かしするぞ! という気分になる。眠くなるギリギリまで、眠っているはずだった時間を起きていたい。子どもの頃、知り合いの大人たちがいっていた「生と死」は「覚醒時と睡眠時」の関係に似ているなどということを思い出す。そうか、わたしは「(起きていたい=)生きていたい」のかもしれないな、なんて思ったり。


 それでこれを書いている今も、夜更かしをしているところ。
 お仕事の資料を読んで(これほんとに使えるかな……)と、うんざりしたあと、ポメラで何か雑文でも書きたくなった。とくに有益な情報を発信したいとかではないけれど、なんとなくポメラに向かっておしゃべりをしたい、今はそんな気持ちだ。


 小説を書き始めて、もうすぐ十年になる。
 書き始めた当初、自分がどんな気持ちで作家になりたいと思っていたのか、よく覚えていない。書き始めるちょっと前に、「小説を書いてみたら」と何人かの人たちにいわれて、書き始めたことは覚えている。ほんとうは、誰かからいわれなくても、心の中で小説を書きたい気持ちが強くあった。だけど、自分が小説を書き上げる自信がないことと、なんとなく気恥ずかしい思いがして、なかなか手を伸ばせなかった。そしてあのとき、誰かから「書いてみたら」といわれたことが、うれしかった。わたしだって書いてもいいんだ、と思えたから。


 きっと、わたしは誰かと通じ合いたかったのだと思う。
 実際に面と向かって話すと、言葉を聞き逃したり、うまく返せなかったり、パソコンに向かって作成する文章通りに、ちゃんとしたストーリーとして話すことができなかったりする。わたしは、とくに不器用であったから(今でもそうだけど)そういう不便さをいつも感じていた。
 でも、わたしが感じているステキなことを、誰かに届けたら相手が喜んでくれるような気がしていた。そう思うことは不遜だけど、わたしが感じている世界を誰かに提供して、感動させることができたら最高だなと思っていたことは事実。そうやって、物語を通して誰かとコミュニケーションをとっていきたいと思っていた。


 昨年から、小説の創作から遠ざかってしまって、書き始めた初期の頃を、ときどきちょっとだけ思い出したりしていた。文学賞に出すノルマを必死にやっていくうちに、忘れかけていたもの。
 どんな小説をわたしは書いていきたいのだろう、と。
 難しいことも、いろいろ考えていた時期もあった。でも、小説を書き始めていた頃の、願望はもっとシンプルだったはずだ。
 とにかく本が嫌いであった子どもの頃の自分みたいなひとでも、楽しめる小説を書きたい……!


 シンプルだけど、その願望を叶えるのはなかなか難しい。
 でも、それがわたしの小説を書く目的だと思う。小説の楽しさを伝えること。とても簡単な響きだけど、とても大きい夢だ。


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