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【掌編小説】退屈な日

返信が遅いと不機嫌になり、そのわりにはわたしからメッセージを送ると早く話を終わらせたいようだった。優しいことに悩んでいながら、主導権は自分で、彼のスケジュール通りに行動しないと、長文の不平を書き連ねてきた。言葉が過ぎることもあり、自分でそれに気づいたときには、親から満足のいく愛をもらったことがない、愛しかたがわからないんだ、という言葉を使い、責任逃れをする。そのような退屈な人間だった。恋人にするような相手ではない、と思っていても、わたしは彼と会い、交際しようとした。そこに理由をつけるとするなら、未来に夢も希望も持たないわたしは人生に退屈をしていて、そして別れた恋人を忘れ去れず、人の愛に飢えていたからだ。

待ち合わせ場所のカフェを通りかかったとき、窓ガラス越しに彼と目が合った。目が合ったのは数秒ほどで、すぐさま彼は逸らし、手持ちの文庫本に目を落とした。紺のシャツに、黒のスラックスに、革の文庫カヴァー。それだけで、わたしはネットでやりとりをした彼だとわかった。
「ソラさんですか」
カフェに入り、彼のテーブルに手を置きながら聞いた。彼は少し放心したあと、ようやくわたしが「アメ」だということに気づき、愛想笑いを浮かべる。いや、ぜんぜん気づかなかった。とごまかすように笑って言うので、彼はわたしのタイプではなかったんだな、とわかった。

カフェラテを頼み、彼の向かいに座ると、彼はまた愛想笑いを浮かべる。作り笑いばかりするので、こういう事態に慣れていないんだなと思った。
「会わなかったほうがよかったんじゃないですか?」
意地悪な質問だ、と思いながら聞いた。彼は慌てて首を振り、そんなことはない、会ってよかった、と繕うように言う。わたしはiPhoneを取り出し、最後にくれた彼のメッセージを読んだ。会わないと俺、絶対後悔する。――でも今、後悔しているのは会ったからじゃないだろうか。
「それは……正直言うと、アメさんが本当に男だとは思わなかったから……」
わたしは鼻で笑って、短い襟足を手で掻いた。女だと偽った覚えはないし、それにわたしは男でも女でもない。中性だと話す。
「えっと、生物学的には……どっちなんですか?」
「生物学的に? それは、男だけど。でもそれがソラさんにとって、重要なんですか? 身体が女じゃないと、不都合なことでも?」
隣に座っていた女性が――女性的な格好をした人と言えばいいか――こちらを見る。その目が不快な色をしていた。

ソラと名乗った男はさらに動揺をする。僕はアメさんと交際したいと思っていたから……、と言い、その先を続けず、いたずらに文庫本をぱらぱらとめくっている。SNSでやりとりしていたときとは違い、目の前のソラは敬語を使い、萎縮している。あれは、女相手だから威勢がよかったということか、とわたしは得心し、つまらない男だと改めてソラを蔑んだ。
「行きたいんですよね、ホテル」
ページをめくっていたソラの手にわたしの手を被せて、声を落とさずに言った。ソラはわたしの目を見る。敵意が混じったその目つきは、すぐに怯んでしまっていた。
「いや……僕は」
「あー、そうか。予約していなかったか。ならばわたしの部屋に行きましょう。飯も作りますよ」
ソラの手をきつく握りながら、乾いた笑いを飛ばした。先ほどの女性がふたたびわたしたちのほうを見て、そして笑いを堪えていた。ソラの顔が青くくすんでいく。そして、わたしの手を突き放すようにどけた。
「ひどいな。仮にも交際したい相手にこの扱いはないでしょう。どうしました? 会ったときから顔色が悪いようですが――」
ソラは椅子から立ち上がり、わたしの顔を睨みながら「僕はもう帰ります」と言い放った。わたしは肩をすくませ、出入り口を指さし、「どうぞ。走って早めにタクシー拾ったほうがいいですよ。交際相手につけられますからね」と提案してやった。ソラは肩を震わせ、ドアを勢いよく開けて出て行った。 

テーブルの上にソラが飲んでいたエスプレッソが置いてあった。わたしはそれを苦々しい思いで、傍らによける。何度かこういうことを繰り返していた。彼らはわたしに純粋な愛を語り、でも実際に会えば、なぜだか彼らのほうが失望し、わたしを避けていくのだ。カフェラテを入れたマグを取り、窓ガラスに映る自分の姿を見た。男の姿で何がいけない。好かれたいならば、男に媚びを売る姿でなくてはならないのか。カフェラテを口に含むと、まだ熱さが残っていて舌先が痺れた。

iPhoneに残っているかつての恋人の写真を見る。
まだあどけない、にきび痕を残した顔の、20歳だったわたしと彼の写真。甘い言葉を尽くして信頼を得ようとする人間を信じるな。彼はわたしにそう忠告してくれた。思い出したら自然と笑いが漏れた。彼の忠告に従わないから、こうして失敗を繰り返すのだ。

20歳だった彼は、自身の完璧主義に苦しめられ、静かにこの世界からいなくなった。どこを探しても彼はいないし、彼がわたしに教えたほどの愛を知る人間などいない。
「退屈さがわたしの敵だ」
ひとり呟き、わたしはカフェラテをもう一度飲む。隣の席の女性が鞄を手に立ち上がり、わたしの肩を優しく叩いた。「ああいうひとには嫌われて正解」。ひとこと言い残し、店内を後にした。


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