見出し画像

メンタルの改善策を模索したゆえ

プロフィールにも書いているけど、わたしはかれこれ10年(?)近く精神的な病を患っている。それで何度も入院したし(もちろん退院もしたけど)、未だに些細なことでくよくよ落ち込むことが多い。無職だった一昨年、ハローワークに行ったら、入院歴が多かったせいか、面談で担当の方に「ちゃんと(入院しないでいられる)改善策を考えてきたんですか!?」と問い詰められた。こちらも好きで入院しているわけではないので腹が立ち、「改善できていたら障害を乗り越えられています!」と反論した。でもそのままでは確実に就活で落とされると言われ、生活訓練と就労移行を兼ねた事業所に送られた。

それ以降、ハローワークの担当者からの「改善策は!?」という言葉が脳裏から離れず、ずっとぐるぐる考えては苛立ち、そしてメンタルを改善するために、少しずつ様々なことに手を出し始めた。それまでやっていたことでもあるが、まず始めにやったことは筆記開示。ジャーナリングともエクスプレッシングライティングとも言われる、ネガティブな感情や考えを紙に書き出すというものだ。

でもこれは、時と場合によって効果が異なる。怒りが絶頂のときに紙にその恨みつらみを書き出すと、さらにその発端の出来事が鮮明に思い出され、怒りが助長されてしまう。もっと良くないと感じたやり方は、「怒っている」という感情や思いをそのまま書き出すのではなく、「でもあの場面ではわたしにも落ち度があった」「相手はわたしに~~して欲しいと考えていたのかもしれない」などと(まだ納得していないのにもかかわらず)分析めいたことをして、怒りの感情を打ち消そうとすること。ひとまず、自分が感じたことをそのまま受け止めて書き出すことが肝心らしい。

筆記開示には、効果があると感じる人とそうじゃない人に分かれると聞く。リサーチすると、過去のネガティブな出来事を書くのは、逆効果になってしまうという指摘もある。もっと言えば、書き出す内容は未来に対してのネガティブな感情(将来の不安、悩みとか)に目を向けて、書き出すのがよろしいとのこと。個人的に、現実感がありありと感じる書き方はしないほうがいいのでは? と思う。たとえば、過去の状況を説明し分析して書くよりも、ネガティブな出来事をいっそのことポエムやフィクションに近く書いたほうが、書いているこちら側としては痛みと距離を置ける。

筆記開示に関しては、たまにつける日記で今でもやっている。ある程度クールダウンした状態で、自分の感情を第三者目線で分析したりいなしたりせず、思うまま書きたいまま書き散らしている。思考や感情の整理は、そのときできなくても、あとで日記を読み返したときにできればいいと今では思う。

そして、事業所でふたつ目のことを始めた。それは認知行動療法だ。認知行動療法では、ストレスのかかった出来事に対し、認知、感情、行動、身体反応にそれぞれ分解させ、それを俯瞰して眺めてみるというもの。俯瞰して眺めることにより、ストレスが減るらしい。それもやってみたけど、個人的に(これの何が効いているのか……?)と思うくらい、ストレスが減った実感がなかった。リサーチしてみると、研究では精神病患者に対し相当効果があるとされているのだそうだけど、「良くなっている」と体感できない。スタッフさんがくり返し、「認知行動療法というのは俯瞰して眺めることで……」と説明してくれるのだけど、実感がわかないからよくわからなかった。むしろ、「仕事でしんどいと思ったこと」に対し、気持ちを汲まれるより先に認知の歪みを指摘され、怒りがわいてきてしまったこともある。

自粛モードになって、出会って良かったと思うものがある。それが、3番目の改善策、ヨガだ。ヨガは、とにかく「ストレス」に対して即効性があった。それまで思考面でなんとかしようとしていたけど、身体に意識を向けることがこんなにも良い効果が出るなんて……と驚きだった。まず、実感できたのが脳が重たくなるくらいぐるぐると考えていた、暗く浅い思考の言葉たちが減ったこと。その他、脳の中からほわんと気持ちの良い物質が出ている「感じ」がしたし、怒りんぼうだったのがいくぶんかやわらいだ。

ヨガに出会い、その次には瞑想に手を出した。瞑想は、ヨガほどの衝撃はなかったものの、初めてやったときは、脳の中を優しく指先でマッサージされているような心地良い感覚がした。脳神経は視神経とつながっているせいか、目の疲れも減り、瞑想をたくさんやる日は目薬を差さなくとも支障がないほど改善されている。不安や怒りに対しても、そんなに大きく感じることも減り、それとじゃっかんだが、たまにストレスにかかった自分を俯瞰できるようになった。

ヨガと瞑想のコンビは、わたしの生活の質を改善させてくれた。でも、人間とはわがままなもので(笑)、それまでネガティブな感情を原動力に動いていたのだけど、それが減ってしまうことでやる気が出なくなってしまった。

ヨガと瞑想がもたらした平穏によって、ということもあるけど、考えてみたら原因はそれだけじゃなかった。自粛モードで決定的に抜け落ちている活動があった。それは、散歩だ。散歩であれなんであれ、人間は刺激量が減ってしまうとやる気ホルモンが出なくなってしまうのでは……? と仮説を立てた。調べると、どうやらウォーキングはドーパミン(やる気ホルモン)を放出してくれるみたいだし、あながち間違いでもなさそう。というわけで、最近は夕方(昼間は暑いので)に街を20~30分くらい歩くことを始めている。わたしにとって夕方というのがちょうど良く、街並みが少しだけセンチメンタルな色に塗られていくのを眺めながら、軽く汗を流す。ヨガ、瞑想と同様、気分も少しだけ良くなる。やる気も少しずつ増えていっている「気」がする。

それとまた瞑想の話に戻ってしまうのだけど、最近では目をつむって瞑想をすることができない。つむってはいるものの、力を緩め過ぎてどうしても瞼が薄く開いてしまう。これもまた調べてみると、本場では目を半分開いた状態でもやるのだそうで、それだったらいっそのこと目を開いちゃえば? ということで今日から開眼した状態で瞑想を試してみようと思う。あまりメジャーな瞑想かはわからないけれど、ろうそくをじっと眺めながら瞑想するというのもあるのだそう。動画でろうそくの映像を流しながら数回やったけど、パソコン画面越しのせいか、目が疲れてしまった。代わりにカレンダーの日付を一点だけ見て瞑想を試した。これなら目が疲れず、なんとかやれそうだ。

気がつけば「メンタル管理を考えていないやつ」と思われるのが癪で、いろいろなものに手を出して自身の身体で実験している自分がいる。根本的な病の問題は解決せずとも、それで少しだけ自分の心がしなやかになっていくのなら、凝り性も悪くないのかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?