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【コラム】短編の名手による小説の書き方

お久しぶりです。ですます調でなく、エッセイ風に書こうとしたら途中で文章が消えてしまいました。これを何かの啓示だととらえ、いつもどおり「ですます調」でいきたいと思います……。

※タイトルは「短編の名手による小説の書き方」としてますが、ハウツーではありません。ご了承くださいませ。

最近、「短編の名手」と呼ばれる海外作家の小説を読むことがあり、その書き方のうまさに毎回感嘆しています。物語ももちろん深いのですが、構成や人物造形がとても素晴らしい。表現力が乏しいので、こんな言い方しかできませんが……。

たとえば、この間アリス・マンローの「ディア・ライフ」を読みました。そこで驚いた書き方があったのですが、それは「大事なシーンを書かない」ということ。

具体的には、どういうことなのか。「ディア・ライフ」に収録されるある短編では、主人公が婚約者に挙式(?)の直前で振られてしまう、という話があります。通常の書き手なら(少なくともわたしなら)、婚約者が放った衝撃の告白を書くのですが、それをしない。つまり、挙式に向かう前と、振られた後のシーンだけを描き、読者に何が起こったのかを想像してもらうのですね。かなり高度な技術だと感じました。

通常なら(という、わたしの感想ですが)、婚約者が主人公を振るシーンって物語の要だと思うのですよ。そこをすっ飛ばして、「ああ、主人公は失恋したんだ」と読者に思わせるには、前後の描写にかかっている。ちなみに、「振られた」ことに関する説明的なものは入っていません。だからこそ、すごいな、と感じたわけなのです。

映画だったらありそうな手法だとは思いますが、文章だけでやるのはなかなか難しそう。記憶にないだけかもしれないですが、小説でこういうやり方はあんまり見たことがありませんでした。これは、アリス・マンローのひとつの例なのですが、ほかにも「あえて書かない」部分をちらほら見かけました。

もうひとつ紹介したいのが、今読んでいるウィリアム・トレヴァーの「恋と夏」の人物の描き方。

ウィリアム・トレヴァーといえば、同じく短編の名手として知られるイーユン・リーが敬愛している作家で、知る人ぞ知る有名な作家です。

作品の中で、写真を撮る趣味のある青年と若い人妻が一緒にいるというシーンがあります。このふたりは出会ったばかりなのですが、お互いに好意を持っている関係。印象的なのは、人妻の視点から見た青年の煙草の扱い方の描写です。

あの人は口を開く前にためらう癖がある。ふと目をそらし、また戻す。あの人は独特の仕草で紙巻き煙草を指にはさむ。わたしに煙草を勧めたあと、パッケージをとんとんたたいて、自分のために一本出したけれど、火はつけなかった。わたしと一緒にいる間ずっと、火をつけないまま、指にはさんでいた。

(ウィリアム・トレヴァー「恋と夏」)

じつはこのシーンの前に、人妻は勧められた煙草を断っているのですよね。だから、青年は煙草を一本取り出したけど、それに火はつけなかった。彼女が煙草を吸わないから。でも自分から煙草を勧めた手前、煙草をしまうわけにもいかない。だから指にはさんでいる、という感じなのかなと思いました。それにしても(彼女に配慮して)ずっと火をつけずにいた、というのが優しい……。

上記のように、煙草ひとつでも人物の性格を表すことができるのだな、と。

一部の例を紹介しました。あくまでもこれはわたしの読み方なので、もしかしたら別のとらえ方もあるかも。文学作品を読みながら、小説の書き方について模索を続けようと思います……。

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