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仕事の停滞。言語性IQのこと。

仕事が停滞気味で、心も宙ぶらりん。会社側に迷惑をかけているのではないか、という気持ちで不安になる。迷惑をかけているのではないか、という思いは、ずっとある。それは、この仕事を始める以前から、前の職場でも同じような気持ちを抱きながら仕事をしていた。"自分が役に立っている”"会社に貢献できている”という実感のようなものが得られないから、そのぶん必死にやったときもあったし、逆に「何をやっても八方塞がり」感に襲われ、無意味だと脱力してモチベーションが上がらないこともあった。

でも、わたしみたいに仕事の「しんどさ」を抱えている人は少なくはない。と、信じているからみんなも踏ん張っているし、自分も同じように踏ん張れる(だろう)と、心が折れそうなときは遠くの(しんどさを抱えている)誰それに思いを馳せて自分を慰めている。前の職場もそうだったけど、今の職場に対しても、スーパーのレジ打ちさえもできない社会不適合者だったわたしを、受け入れてくれたという思いは変わらない。思いは変わらない……けれど、それに見合う努力ができていない自分がまた不甲斐なく。自己嫌悪のループ。

具体的に行動を増やしていくこと。これが今の自分の課題。題材に困るのなら、休日も資料収集に努める。本を読んで知見を増やす。文章を日常的に書く……etc.くよくよ考え、ローディング(停止)している時間が多いので、行動を増やせばいいのだ。そうすれば、不安でローディング(停止)する時間も減る。

日記、というよりかは自分用のメモみたいになってしまった。

あるサイエンスライターさんのブログが好きで、よく読むのだけど、その記事の中に興味深い海外研究内容がある。不安や心配性などの傾向にある人は、言葉を操る能力である言語性IQが高いのだそう。逆に外向的な人(楽観的な人)は、手を動かしたりマルチタスクなどが得意である動作性IQが高いらしい。これは、けっこう納得のいく研究結果だと思った。

どうやら言語能力が高いと、過去の嫌な体験をより細かく描写できるから不安になる傾向があるのだという。でも、実際に言語性IQが高いから不安になるのか、またはその逆なのかという因果関係は、(調べていないから)よくわからない。因果関係はよくわからないけども、確かに心配性であるわたしは、手作業をやるより(レジ打ちとか)、文章を書いていたほうが楽であるな、と思った。だからと言って、「仕事がサクサク!」とはいかないけども。

心配性の人には、心配性の特性を活かした仕事を。楽観的な人には、楽観的な人の特性を活かした仕事を。という話ではないだろうか。

「好きな仕事を選ぶことをどう思う?」と、いつだったか誰かに聞かれたことがあったけど、その意味がよくわからなかった。わたしにとって、好きな仕事とは「自分がやれると感じる」仕事にほかならず、だとするのなら「好き」と感じるよりも「得意」のニュアンスのほうが強い。得意な仕事のなかで「好き」と感じられるものが天職なのではないだろうかと思う。

こうやって今は言語化できるけども、聞かれたときはうまく言えなかった。ただ、「好きな仕事につけるのは羨ましいね!」という(本当はそんなことを思ってはいない)(好きでも得意じゃなきゃ毎日自己嫌悪の嵐だ)薄い返事をした。文章を書くのは、書きながら考えられるけども、会話というものはいつも速いレスポンスを求められるから苦手だ。

仕事が軌道に乗らなくて、そんなふうに少し「仕事とは?」ということを考えていた。今の仕事が天職なのかはわからない。でも今はそこに「置かれている」のだから、何かの意味があると思う。そんなふうに、意味づけをしながら、来週も仕事をしていく。ひゃー。


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