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先が見えない作品づくり(独り言)

かれこれ1か月経つかわからないけど、たぶんそれくらい中編小説のプロットに取り掛かっている。わたしが執筆にあてる時間は、いつも夕方頃の30~40分のあいだ。個人的に夕方は想像力が働くような気がして、いつもその時間帯を使って書いている。でも、ほぼ毎日のように書いても、プロットが終わりそうにない。

仕事でもなんでもそうだけど、「先が見通せない状況」がいちばんしんどい。やる気も下がり、惰性のように指先を動かしている感じ。こういう状態になると、小説を書くのが楽しい! と思える人が、信じられないとか思ってしまう。いや、これはわたしの嫉妬交じりの、なんというか屈折した気持ちからくるものなのだけども。

小説を書き続けてから、かれこれ10年も経つ。合間にブランク期間があったけども、そこを含めたらまあ10年が軽く流れてしまったのだ。10年経つと、やはり「小説を書くのワクワクする~!」なんていう気持ちは薄くなり、文学賞の締め切りを目指して重い腰を上げる、という具合で始める。物語を作りながらも楽しさは生まれてはこなく、趣味と仕事のあわいにあるものとして淡々と処理していく感じ。趣味にするには労力がいるし、仕事にするくらいの価値あるものを書けている、という実感が湧かない。

でもまあ、10年。それくらいの時間を費やせるのだから、書くのがまったく嫌というわけでもないんですよね。今日はちょっと怠く(気圧の関係か、睡眠不足の関係か)、作品の見通しもつかないので、モチベーションが下がり、noteでうじうじ書いてみましたけども。なんだかんだ言っても、最終的には書くことに向かうのです。とくに趣味がない、というのもひとつの理由だけど、「小説家になる」(ムリでも目指す)と決めて、人生の目的をそのことに定めてから、視野が狭くなってしまった、抜け出せなくなったという。

でも性格的にバリバリ努力をすることもできないので、あんまり成果もでずに歳月が流れてしまったのですよ。これはけしからん! まあ、結果でないのもそんなもんなのかなとのんきに受け止める自分もいたり。

正直、頑張るのも(頑張れられているのかはさておき)疲れてきました。コロナもあるし、気晴らしにできることもほとんどなく、軽度の不眠症になり、今治療中です。(仕事はしています)

まあ疲れるけども、秋の公募には出したいです。2つ、できれば年末に向けてのも含めて3つ。1つは初稿終えたので、あと2本……なんとかひねり出す。プロット書きながら「これって純文学?」「ちょっとライトじゃない?」と頭のなかの小人たちの声を一切無視し、軽い絶望(ダメかも……)を覚えながら、エピソードをポメラに打ちこんでいます。8月末には終わらせたいぜ。

そもそも純文学って何? と考えだして、「現代文学論争」などを図書館から借りてきました。これで勉強を……できるかな? ほかにも遠藤周作など既読の作家をもう一度リターンして読み直してきます。あと、書きたい題材の作品(信仰に関する作品)とかね。

不眠にならない程度に、嫌にならない程度に、粛々と書いていきます。




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