「母の誕生日祝いをしなかったら楽になりました」


じつは4月末はわたしの母の誕生日でした。いつもなら、高価ではなくてもプレゼントを贈っていたし、それが当然の(と言うのは変ですね)イベントでした。でも、今年は祝いませんでした。きっかけはもちろんあります。その前の週に母の叱責で、衝動的に人生を終わらせたいと行動に移そうとしました。幸い、父が止めてくれたので、最悪の状態は免れましたが。あとで訪問看護師さんや主治医の先生に経緯を説明したのです。そしたら、ふたりとも母の(おそらく)理不尽な言動にたいへん驚いていました……。

看護師さんいわく「ふじこさんの家庭って、ちょっと一般的ではない……」とのこと。医療関係者なので軽率に「普通の家庭ではない」と言えませんから、よほどわたしの家族の奇妙さに衝撃を受けたのでしょう。ここ数年、母や姉(ときどき父)の話を直接主治医の先生に言えるようになり(それまでは母が同席していた)、たびたびわたしの話に衝撃を受けてクールビューティーだった先生が取り乱す場面を目撃するようになりました。

基本的にわたしは繊細である、と思っていますが、近くのことに鈍感なところがあるので、家族に関しては「少し変わった人たちが結集した」程度に思っていました。ところがわたしは「家族の変さ」を過小評価していたようです。

姉に関してはお金もないのに、パートナーと自ら進んで島流しを選ぶ。母は家でゲームとアイドルの動画三昧。父もゲームか中国ドラマを見て時間を潰す。これらは一例ですが、文化的ではないことが一目瞭然ですよね。

わたしは去年末から中途覚醒が治らず、不眠傾向に悩まされていました。満足な睡眠が取れなければ、脳の思考力、集中力は低下し、そうするうちにバグが発生してうつ症状もひどくなったりしました。でも、考えてみれば、去年末から姉の島流しの件でわたしは混乱していた。つまり、姉の問題と中途覚醒が始まったタイミングが重なるんですよね。

最悪なことに、仕事ができない状態になり、やむをえなく会社に長期の休みをもらいました。休んでいるうちにやや回復して、TOEICの試験も受けられるようになり、やっと建設的なことができた——、と思っていたら、過去に母から暴言を放たれたフラッシュバックが蘇りました。それから後のことは、解離してしまったせいか覚えていません。でも、なんとか復職して仕事を始めました。

ストレスによる解離症状でほとんど覚えていないのですが、不眠傾向は止まず、一日に5回中途覚醒したり、精神的にも身体的にも消耗。そこに、母の暴言で再度襲撃されたので、まあけっこうつらかったよね。

看護師さんとの話し合いで「お母さんとは距離を……」となった矢先、母の誕生日に母からLINEが来ます。「体調はどうだい?」と。ここで誤解されたくないのは、母の意図です。本当にわたしの体調を心配しているわけではなく、母は「自分の誕生日を祝ってほしい」という本能に忠実な欲求を隠して(隠されていないことは自明ですが)、前振りとして聞いたわけ。

そんなの憶測に過ぎないじゃないか、と常識的な家庭で育った人は思うかもしれません。科学的な根拠は提示できませんが、母の性格を知ればすぐにわかること。過去にわたしが体調を崩しているとき、そのときちょうど「母の日」だったのですが、母から「母の日だから祝って」と言われたことがあります。わたしの状態関係なく、自ら恥じらいもなく言ったのですよ。しかたなく、わたしは母をカフェに連れ出し、母にご馳走しました。

賢い看護師さんは母の意図(自分の誕生日に娘にLINEした)をすぐに察知して、「異常だと思います……」と言いました。配慮ある言葉を選べる人なので、よほどのことです。

それでまたわたしは体調を崩しました。

なるべく、母という厄介なキャラを避けるため、今年は誕生日も母の日も祝わないことに決めました。そしたら、皮肉なことに中途覚醒が治り、うつ症状もなくなりました。

いわゆる世間でいう「毒親」とは少し逸れているけど(あまりこのワードを使いたくない)、母の精神的な幼稚さというか、あまりにも原始的な思考というか。とにかく大人になるにつれ、徐々に「ついていけないな」と思うことが増えていきました。

母はたまに「わたしは読書が好きなの」と言うことがありますが、母が本を読んでいる姿はあまり見ません。母の好きな作家はモンゴメリだそうです。ですが、母がモンゴメリを読んでいるシーンにでくわしたことはむろんないし、ひどいことに本棚にはモンゴメリの作品などない。この記事を書いていて、今気づきましたが、うちの実家にはそもそも本棚がないのでした。本など読まないから。

そういう知能指数の低い家庭に生まれてきて、当然わたしもその遺伝子を受け継いでいるわけですが、持ち前の反骨精神を発揮し、学生の頃から本をたくさん読むようになりました。小説も書いて、その延長線上でライターの仕事につけるようになったのですが、振り返ると自分でも「努力してきたんだな」と感じます。

自分とは合わなくなったとはいえ、家族は家族ですし、簡単には縁を切れません。できるだけ、わたしの人生から家族というノイズを取り除いて、自分の人生、したいこと、たどり着きたい場所に集中するしかないのかなと思います。

この記事を書いていて、ほんとにばかばかしいことに振り回されているなと思いつつ。
人生つらいですね。








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