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小説の中のリアリティ

雨の日が続いている。そのせいもあってか、最近よく眠れてしまう。午後10時に寝て、朝の8時過ぎに起きるなんてザラ。在宅勤務なので、なんとかやってはいけるものの、これが通勤とかになるとてんやわんやになってしまうだろうな……と思いつつ、これといって改善策が見つからない。あるサイエンスライターさんのブログを覗くと、瞑想をやると睡眠の質が上がり、寝る時間も短くなるらしいということが書かれていた。ほんまかいな、と思いながら何かを信仰するみたいに瞑想を引き続きやるしかない。

こんな天候、しかも自粛モードなので、必然家で過ごすことが多くなった。特別やることがないので、小説なり雑記なりを書いている。小説は遅筆ではあるけれど、書いていて楽しい。なぜ楽しいのかというと、プロットなしで自由に書いていることもあるけど、それ以上に「主人公が男性」だということが大きな理由。

わたしは、男性キャラを書くのが好きだ。それが傍から見たら「男に見えない」と思われようとも、男性キャラを書くことにひとつのやりがい(?)みたいなものを感じている。個人的に、異性をうまく描ける書き手は、巧い書き手だと思っているくらい。それくらい、女性が男性を(あるいは逆もしかり)描くのは、難しい。

ずいぶん前に、小説の「リアリティ」についての話題が、ネットのどこかで持ち上げられていたことがあった。具体的にどういう小説がリアリティがあるのか? という最終的な結論は覚えていない(し、あったのかどうかはわかならい)けど、「リアリティ」が欠けている作品は、どうしても読者を遠ざけてしまう。

わたし個人が考える「リアリティ」とは、一体何か? と問われれば、これこれと限定して答えることはできない。けども、この小説はリアル! と感じさせるひとつとして、キャラクターが自然体だということが挙げられる。たとえば、10代後半~20代前半のそこそこおしゃれな男の子という設定で描くなら、会話文が「君はそう思うのかい?」「そんなこと言ったってしょうがないじゃないか!」とえなりかずきを彷彿させるような話し方だと、違和感を覚えてしかたがなくなってしまう。

かといって、実際に喋っている話し方を文字に起こして小説の中に入れても、それはそれで馴染めないときもある。現実の話し方をそのまま、小説にすればいいという問題でもない、というところが難しい。小説には小説の雰囲気や空気感があって、それを崩さずに「リアル」だと読者を納得させるような描き方が望ましいところ。

自分の小説が、そんな理想像に近づけているのか……というと自信がなくなるけども、少なくとも「リアル」には近づきたくて、書いている。



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