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橘玲さん『幸福の「資本」論』の3つの資本のフレームワークの有用性(シン・社会学)

ある理論や学問が正当性を持っているか、というのは難しい話で、ひとまずのところ、有用性があれば良いのではないか、というのが私の結論です。

天才、池田清彦先生の名著『構造主義科学論の冒険』講談社学術文庫版の冒頭に、こういう一節があります。

本書を貫く思想は、科学は何らかの同一性の追求であり、しかもその同一性には根拠がない、という今では当たり前のテーゼである。(中略)人間の存在と独立に、この世界に不変で普遍の真理が存在するなんていう話は、どこからどう考えてもウソッパチとしか思われなかった。それを信じることができるのは、ただ何も考えていない人たちだけである、と私には思われた。

池田清彦『構造主義科学論の冒険』講談社学術文庫 pp.3-4

科学は同一性を求めるが、それには根拠はない。では、何を以てその科学的言説に正当性を求めるかと言えば、それは有用性である、というのが私の考えで、その有用性というのは、同一性の拡張にあるのではないか、というのがシン・社会学で考えていることです。

ドラッカーは自身の著作を科学として扱って欲しくない、と『すでに起こった未来』の中の「ある社会生態学者の回想」で書いていますが、ここでドラッカーが想定している科学が、池田先生の言うところの「人間の存在と独立に、この世界に不変で普遍の真理が存在する」ということを前提としている科学。実際、歴史を紐解くと、もともと科学はヨーロッパで神学から置き換わるように生まれてきているところもあり、某有名なセリフ「真実はいつもひとつ」ということを前提としてきました。この前提をぶっこわしてきたのがポストモダニズムと言われる時代で、言語学とか民俗学とか量子力学の発展によって、すべては相対的か確率論的に存在する、なんて、この世界がとっても不確かなものになってしまったのが現代です。

さて、そんな話はともかく、そうなってくると、世の中を自分の目で見て、自分の頭で考えないで、象牙の塔にこもっている学者さん達よりは、ドラッカーがそうであったようにジャーナリズムの視点を持ち、なおかつ、その時代にあった有用性のある理論=つまりは同一性を以て語れるフレームワークを生み出している、いわゆるライターさんとか著者さんのアイデアの方に、科学的価値を見出してしまう、というお話を今回はしたいと思っています。

今回、取り上げるのは、前の記事でも少し触れました、橘玲さんの『幸福の「資本」論』から。

この理論、とても面白くて、橘玲さんは次回作でも扱っていますが、この本からの理論的発展があまりあったようには見えないので、この本をベースに理論展開してみます。

幸福の条件は、
①自由
②自己実現
③共同体=絆
の3つ。

これらは下記の3つのインフラに対応していて、
①金融資産
②人的資本
③社会資本

全部、持っている人、何も持っていない人というのは現代の日本では存在していなくて、1つないし2つ持っている人が、もっと幸せになるために、どういう投資をしてどういうリターンを得ますか、というようなお話。

この理論が、帯にはピラミッド構造で描かれていますが、いまいちわかりにくいので、ベン図にしてみました。

橘玲『幸福の「資本」論』より筆者作成

この図を元にして、いろいろ展開を試みます。まずは、世の中に起きている様々な社会問題を、これら3つの資本・資産の変換、という形で示してみます。

橘玲『幸福の「資本」論』より筆者作成

もちろん、示されている言葉全てが社会問題ではないのですが、こういう交換行動が何に当たるのか、ということを示してくれる図になっています。不穏な組み合わせになっている部分もありますが、あくまでもこの図の有用性を表現したいだけなので、そこはあまり気にしないでください。

次に、いわゆる社会課題を解決しようとしている皆さんが、どこにアプローチしているのか、の図として使ってみます。

橘玲『幸福の「資本」論』より筆者作成

というように、いろいろこの考え方は拡張して考えることができて、これこそ、科学的な同一性を拡張できる、ということの実証例だなーと思ったのです。

現場からは以上です。

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