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コピーは世界を変えうるか、あるいは宣伝会議賞の振り返り。

このnoteは、キャッチコピーの大ファンであるBizjapan代表・北村が、プロジェクトを立ち上げ宣伝会議賞に応募するまでの奮闘記である。

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2019年11月6日、今月の頭のこと。あの日の13時をもって、第57回宣伝会議賞が締め切りを迎えた。それはつまり、友達数人を誘ってプロジェクトを組んで「コピー」(一行程度の短い広告文)を書いてきた僕の2ヶ月間が終了した、ということだ。
書き始めた当初は「コピー2000本書いてやる!」と息巻いていた僕も、終わってみればたったの200本。キャッチコピーは本数の勝負と言われるのだから、僕はどこにでもいる、ただの1コピーファンだったってことが証明されてしまった訳だ。初参加だから上出来だ、とひとまず自分を慰めつつ、素直に悔しい。

ただ、初めて取り組んだコピーの世界、それはそれは本当に楽しかったから、その世界で見た輝きだけでもなんとか残しておきたくて、とりあえずnoteを書き始めた。
着地点は見えてない。そういうのも悪くないだろう?

受験直前、駒場東大前駅で

世の中には広告があふれている。毎日見るYoutubeやTwitterにも、移動中に聞くSpotifyにも、テレビにも、新聞にも、電車の中にも、なんにでもだ。
ただ、ほとんどの人はそんな広告に見向きもしない。どちらかといえば嫌いだろう。
ましてや広告の一形態である「コピー」なんて尚更だ。興味もクソもない。僕だってそうだった。

ただ、僕の場合にはそのコピーとの明確な「出会い」があった。

高校3年生の2月。センター試験を終えて、東大の二次試験の勉強をする日々。不安に押し潰されそうで魂が抜けていた直前期の僕の背中を、ぽん、って押してくれる言葉と出会った。
そのコピーは実家の最寄り、駒場東大前駅にあった。多分、当日に東大受験に来る生徒やその保護者をターゲットにした、河合塾のただの広告戦略の一つだったのかもしれない。

なんてことない、白地に黒の文字で、こう書いてあった。

東大受験、おめでとう。

本当はもう少し続きの文章があった気がするが、忘れた。「東大合格、おめでとう」じゃないことだけ、はっきり覚えている。
いくつかのポスターが貼られた壁の前で、数秒だけ立ち止まって噛み締めて、それからそそくさとその場を離れた。

受験を終えたとき、母親に向かって「やり切ったよ!」と言えた。
ありがたいことに、僕はその後河合塾ではなく東大に通うこととなったが、今でもこのコピーには感謝している。

この時期、渋谷駅でも大量の応援メッセージを見て涙が出そうになったのを覚えている。
コピーには何かの力がある。そう確信した冬だった。

朝倉と、二ノ宮と、宣伝会議賞 

今更だが、日本には「宣伝会議賞」ってものがある。月刊「宣伝会議」という雑誌が主催する、広告表現のアイデアをキャッチフレーズ(またはCMコンテ)の形で応募する、広告公募賞だ。

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プロアマ問わず全国のコピーライターが、割ける限りの時間を割いて、何晩もの徹夜を超えて、二ヶ月間、ただひたすらにコピーを書く。昨年は計50万点のコピーが集まり、一次審査通過率ですらたったの1%しかない。
今年は協賛35社からお題が出されて、一人が提出できるコピーは最大3500本。

Twitterで試しに「宣伝会議賞」と検索してみて欲しい。きっとその熱量がすぐにわかると思う。広告代理店の若手も、サラリーマンも、葬式屋のおじさんも、フリーランスの誰かも、子育て中のお母さんも、なんか知らんけどみんな盛り上がってる。なんだこれは。

はっきり言って、クレイジーだ。

クレイジーじゃないはずの僕は、8月末に『左利きのエレン』に、9月頭に『本日は、お日柄もよく』に出会ってしまい、朝倉光一の生き様と、二ノ宮こと葉のスピーチに魅せられた。

広告って面白え。言葉って面白え。

いつの間にか、「宣伝会議賞」というクレイジーな荒波に突っ込む気分になっていた、とまあそういうことにしておこう。
(ちなみに両作品とも最高だった。心からおすすめする。)

ともかく、朝倉と二ノ宮に勝手に背中を押された僕は、観客席から見ていたコピーの世界に、初めて「書く側」として飛び込んで見ることにした。

常識と芸術の間、それと解決

宣伝会議賞に取り組むって言ったって、何をすればいいのかよくわからなかった。だから僕は二つのことをした。
プロのコピーライターの本を読むこと、そして仲間を集めることだ。

偉大な先人と、頼れる仲間。少年ジャンプの冒険譚だって、いつもそこからスタートする。おんなじ話。

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本で勉強しながら、いくつかのことがわかってきた。
良いコピーとは、「人を動かすことができたコピー」である、これは紛れもない真実として捉えて良さそうだ。
先日お会いしたGOの三浦さんもはっきりとそう言っていたし、うん、間違いない。
そして、その良いコピーとやらには、実に様々なタイプやポイントがある。らしい。
うーん、難しい。

ともかく時間と経験がなかった僕は、ひとまずBizjapanの仲間と一緒に勉強会を開催した。
とりあえず書いてみよう、という雑なテンションで始めた勉強会も結果的に4回ほど開くことになったのだが、
そこで僕らは、谷山先生の本から抜き出してきたエッセンスに集中して創作していくことにした。

コピーは「描写」ではない。「解決」だ。

人を動かすのがコピーの最終目的なのだから、この説明は非常に本質を突いたものと言えるだろう。その商品・サービスがどう役に立つのか、現状をどう変えてくれるのか、そういう目線で見てみると、グッと良いものになっていく。

ただ、実際にはこのポイントだけでは創作が煮詰まってしまうこともある。
そんな時はこっち。ほとんど同じことを言っているのだが、見方を変えるだけで新たな発想を与えてくれる。

常識と芸術、その間にある「納得」を、コピーは狙う。

「そりゃそうだ」を常識、「何言ってるのかわからん」を芸術を呼ぶのなら、その間にある「言われてみれば、確かにそうだ」を見つけるのがコピーだと、谷山先生は表現した。

伝説として名高い第46回グランプリ受賞作、「家は路上に放置されている。」も、
糸井重里さんの偉業の一つ、「サラリーマンという仕事はありません。」も、
この視点からみればストンと理解できる。

納得感が、人を動かす。

なるほど、コピーって面白い。

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「駅から徒歩60分の住宅地を売るコピー」を書いてください。

二つのエッセンスを羅針盤にして、僕らは大きな航海に出た。
記念すべき船出の日となった初回の勉強会で、僕らは表題に書かれた課題に取り組んだ。

「駅から徒歩60分の住宅地を売るコピーを書いてください。」

自分の作品を人に発表するなんて、当たり前だけど初めてで、だからこそ、この課題は思い出深い。
自分の生んだものにアドバイスをもらい、友人が書いたものから学ぶ。とてもワクワクする時間だった。ありがとう、友よ。
(ちなみにこの課題は博報堂のクリエイティブ研修で実際に使われたものらしい。ありがとう、谷山先生。)

赤ちゃんが眠る街。

これが、先のお題に対して僕が書いたコピーだ。僕の処女作と呼んでもいい。
本を読み込んで、エッセンス意識して、必死に頭捻ってできたのがこれだった。

「なんだ、大したことないじゃん」そう言ってくれて構わない。
いつか振り返った時、このコピーを笑えるような、そんな日が来るといい。

友人たちの処女作も勝手に大公開したいところだが、これ以上嫌われたくないのでやめておく。お題を間違えたやつも、俳句甲子園優勝の底力を見せつけたやつもいたっけな。

こうして、いろんなお題に対してコピーを書き続け、僕らは締め切りを迎えた。

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人への想像力と、渋谷のバーでの出会い

良いコピーを書くために最も重要なのは、「どれほど他者に思いを馳せることができるか」であると、今は確信している。

コピーは言葉遊びじゃない。どれほど耳障りのいい言葉を並べたって、人は動いてくれない。コピーの世界では、「どう書くか」ではなく「何を書くか」というポイント探しで99.9%勝負が決まっている。
そしてそのポイントを見つけるためには、その広告の受け取り手が何を考え、何を求めているのか、その思いにどこまでもどこまでも寄り添い、想像し、時には自分の目で確かめなければならないのだ。
その営みにはゴールなんてない。他者に徹底的に向き合い、想像力を鍛え続けた先にしかきっといいものはないのだろう。

そして、「他者に思いを馳せる」その営みはいつだって素晴らしいものだ。
僕はそのことに、なぜか渋谷のバーで気づかされた。

カレンダーによると9月25日。僕はその夜、渋谷のバーにいた。とあるご縁でご飯をご馳走になった社会人の方に連れられ、その方が昔店長をやっていたというバーにいった。もちろん、バーに行くのはそれが人生初めてである。

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そこではその日が初出勤だった30手前の女性が働いていて、カウンターに座った僕たちは彼女と話をした。

甘ったるいチャイナブルーを飲み干して、追加でコロナを頼んだ頃、その人がとある広告代理店に勤務しているとわかった。このタイミングで、まさかの出会い。普段関わってるプロジェクトの話とか、仕事きついですかとか、いろいろ聞いた。
ひとしきり仕事について話終わった頃、なんてことないように、その人はこう言ったのだ。

最近思うんですけど、コピー機(印刷機)ってめっちゃ面白くないですか?そうそう、オフィスとか学校とかにある、あのでかいアレ。
紙の排出口、微妙に上向いてるじゃないですか。なんというか、絶妙な角度。でもあれって、コピー機の開発過程できっと誰かが必死にあの排出口の角度を微調整して、「これだ!」ってなるまでこだわった結果だと思うんですよね。なにやってんだよ、っていう。(笑)
仕事中にこないだふと気付いて以来、オフィスで笑いが止まらないんですよ〜。

その話をしているバーの店員さんも、聞いている僕らも、すごくいい顔をしていた。
この人はきっと、誰かにとってかけがえのない広告を作ることができる人なんじゃないかと、その時思った。
そして、僕もそういう人になりたいと、ほんの少し、でも確実にそう思った。

だって、GEORGIAも言っているだろう?
世界は誰かの仕事でできている。

広告コピーは、社会の余白だ

駅に貼られている一枚のポスター広告と、そこに書かれた一行のコピー。
それはこの社会でどんな価値を持つのだろう。この二ヶ月、手を動かしながらずっと考えてきた。

コピーって、この社会における余白だと思う。
一見すると必須には見えないけれど、ないと苦しくなる。社会全体の形を整えて、ゆとりのある生活を作る。そして、ずっと「まだ続きがある」って、そう思わせてくれる。

お金が絶対的な指標とされてきた現代社会において、新しい時代の到来を期待すべくポスト資本主義だなんだっていろいろ言われ始めてるけど、僕にはそこらへんのことはよくわからない。
ただ、コピーは、時々息苦しくなるこの社会の枠組みの中で「広告」というれっきとした場所を確保しつつ、「便利」とか「安い」とか、それだけじゃない何かも提供してくれているような、そんな気がしてならない。

何かを必死に作っているたくさんの大人たちがいて、毎日をひたむきに生きるたくさんの人たちがいる。
その間にちょっぴり思いを乗せて、コピーは飛び立っていく。
もしかしたらそれは応援かもしれないし、叱責かもしれない。ノスタルジーかもしれないし、現代社会への批判かもしれない。

ただ一つ言えること。
広告コピーの翼に乗っかってるのは、売り上げなどでは断じてない。
作り手と、受け取り手と、書き手の、どこまでも真っ直ぐな思いだ。

この社会をなしているのは、紛れもなく、感情を持った生身の僕らなのだから。

コピーは世界を変えうるか

「世界を変えたもの」って聞いたら、あなたはなにを思い浮かべるだろう。
どうせ流行りのGAFAだろう。その答えは聞き飽きた。
もしかしたら過去に遡って、火とか、車輪とかを思い浮かべた人もいるかもしれない。

じゃあ「言葉」は?「コピー」は?

コピー一つで世界が変わったら苦労しねえよな。70億人が住うこの地球は、そんなに甘くない。
でもね。世界が変わるときは、いつだって誰かの行動が変わった時なんだ。みんなの行動がそうやって変わっていって、その結果気付いたら違う景色になっているんだと思う。

コピーは世界を変えてはくれない。
コピーは、世界の見方を変えてくれる。

あなたが違う一歩を踏み出した時、もしかしたらその手前には一本のコピーがあるかもしれない。

この二ヶ月を振り返って

まだまだ話し足りないことがたくさんあるんだ。

黒霧島とクラフトボスを飲みながらコピー書いていたら朝5時になっていたこともあった。

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コピーのヒントを探るべく、井の頭線車内でイヤホンつけて寝ている他の乗客を凝視していた日もあった。

Bizjapanの秋新歓で使う立て看板に書くコピーを先輩と一緒に考えたこともあった。

青年失業家の講演を聞きに行ったこともあった。

気になった人は、今度会った時にでも聞いてくれ。
バーで、黒霧島でも飲みながら。

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そういえば、とある夏の日

宣伝会議賞にチャレンジすることが決まる数日前、別の用事で僕はBizjapanの先輩とお昼を食べていた。
彼は大学4年生で、卒業後はあのJTに就職することが決まっているらしい。

すごく不思議だった。
彼は今めちゃくちゃ面白いベンチャーのプロジェクトにガッツリ入っていたから、そこでそのまま働くのかと思っていた。仮にそこでなかったとしても、きっと自分の事業を立てて起業するのだろうと。さらに聞いてみれば、他のメガベンチャーからも内定をもらっていたそうだ。
どっちがいい選択、なんてのは全くないけど、彼はそういう選択をするんじゃないかと、勝手に思っている自分がいた。 

不躾にも、「なんでJTなんですか?」と聞いた。
曰く、あの会社を俺が救いたいのだと。
そして続けて、彼はこう言った。

ひとのときを、想う。
そんなことを言える会社は、きっと素敵な会社で、まだ死んでないと思うんや。

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たまには、街中のコピーにも目を向けてみてほしい。
そのコピーもきっと、誰かが必死に想像し、思いを乗せた一行のはずだから。



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