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野菜じゃない方のホウレンソウについての完全なる自論

私、ホウレンソウが嫌いなんです。

新卒で入った会社は数千人規模の一部上場企業だったんですが、一応10年ほどは頑張ったんですが、ホウレンソウが嫌いで辞めたといっても過言ではない。

新入社員研修では、名刺交換の仕方から始まり、電話対応の方法、そして、はい、出ましたホウレンソウ。社会人としては、報告・連絡・相談が出来て始めて一人前だ的な。

社会の厳しさも甘さも、ルールも右も左も解らない状態ならば、行動する前に間違いがないかを確認するために、相談をしてから行動する。連絡がつかないと不安になるし心配するし、何かの指示を受けてそれが完了したのなら報告する。悪い事も良い事も、報告していなければ完了していないのと同じだ。

というのは、社会人の2年目ぐらいまでは良く解る。後は新しい部署に異動になったとか、新しい事に取り組む時はもちろん大事だ。

しかしだ。

3年も4年も経って、部署の異動などはあれど、業務に大きな大差がないような場合は、ホウレンソウって、結構、時間の無駄でストレスの温床ではなかろうもんかというのが、私の自論です。

「俺は聞いてない。」

よくあるホウレンソウ至上主義の人達が振りかざす名言の一つです。

この名言を吐く人に限って、良い結果になった場合は自分の手柄にするし、悪い結果になった場合は、ほら見たことかと悪者をあげつらう傾向にある気がする。(俺調べ)

あと、よくあるのが、たまたまそのホウレンソウ至上主義の方が会議に参加できずに話が進んでて、議事録とか最近だとチャットツールなんかにその内容を残していたにも関わらず、伝家の宝刀「俺は聞いてない。」

いや、知らんがな!

ホウレンソウ至上主義論者からすると、そんな大事な事は直接、口頭で相談なりに来るものだ、と。

いや、知らんがな!!

で、そういうホウレンソウ至上主義者に限って、実は、その物事が進んでいるのを解っていて、自分からアレどうなってる?って聞きに行けばいいのに、『〇〇はこの場合、どうやって俺に相談しにくるかな?』ってのを様子見ていたりする。

こちらの様子を見ている、ドラクエのモンスターか!

「俺は見ていないようで、実は色々と見てるんだよ。」的な。

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だもんで、意思決定が遅くなったり、物事の進捗が遅くなったり、折角、みんなが集まって会議開いてても、「■■部長がいないとなー」みたいな、意味の無い参集になったりと、生産性が悪い事になってしまってるんとちゃうかなと思っている。

ただ本当はホウレンソウは大事だと思っている件

下町のナポレオンの力も借りつつ、ここまで言っておいてなんですが、ホウレンソウは実は大事だとも思っています。

当たり前ですが、仕事やプロジェクトや宇宙ロケット作るとか、新薬を開発するとか一人でできる事なんてたかがしれています。なので、チーム組んで色々な人達の頭脳や経験や知識を結集して物事とは進めていく。

そこから素晴らしいイノベーションやアイデアが生み出されて、世にない画期的な物が出てくる。

その為には、育ってきた環境が違う人達の考え方を共有するホウレンソウというのは非常に大事。

しかし、そのホウレンソウの方法に問題があると思っています。

■■部長の席まで行って、「■■部長、ただいま少しお時間よろしいでしょうか?」と確認するために、▲▲課長の所にいって、「▲▲課長、ただいま少しお時間よろしいでしょうか?■■部長に先日の件を相談しようと思っているのですがいかがでしょうか?」

「あぁ、そうだな。相談に行こう。しかし、■■部長は今日は●●役員との打合せがあるので今はピリピリしている。ちょっと俺がランチに行った際に様子を探ってくるから、その後にいつ相談しに行くか決めようか。」

「▲▲課長、さすがっすね。有難うございます。本当に助かります!」

みたいな、クソ面倒な行事がヤバイと思っています。

流石に、この令和時代、そんなやりとりはメールやチャットツール、社内SNSなんかでかなり減ってきているとは思うものの、意外や意外、かなりの大部分で昭和レガシーが残っているのではないかと推察しております。

ホウレンソウってあるんだけど無いような。自動的に自由闊達にホウレンソウが自然と行われている、そんなツールやカルチャーがもっと育っていく事を切に願っています。いや、むしろ作りたいと思っています。

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