見出し画像

愛とは何か。その2 クソガキ編

前回の続きです。

前回は「愛」についての問題提議をしました。

今回は愛の輪郭をなぞってみます。


餓鬼という言葉があります。「このガキが!」というセリフを聞いたことありますよね。
このガキ、飢えた鬼と書きます。

何に飢えているんでしょうか?

ここに、僕たちが持っている愛への大きなヒントがあります。

餓鬼とは、語源を仏教の六道の一種、餓鬼道から来ており、地獄道を除いた最底辺の世界です。
畜生道のさらに下であり、おおよそ人ではないのです。

僕たち人間は、人間になるために生まれてきています。
こんなことを言うとかなり面倒くさそうなやつですが、また人間とは何かもお話ししますね。
そして、赤ん坊として今生が始まった時、僕たちは、それはもう、立派なクソ餓鬼なんです。
寝ている時間以外は常に泣き叫び、母乳を求めます。腹が満たされると、今度は寝るまで愛情を求め泣き叫び続けます。その繰り返し。ずーーっとずぅうううううううううっっとです。
そう。愛に飢えた鬼なんです。

子供を育てたことがある方なら絶対納得できるはずですが、本当に大変です。
充電器に例えてみますが、最初は親以外では充電できず、そして連続稼働時間もすごく短いんですね。なんて言ったって飢えていますから。
そして愛を授受し続けることで稼働時間が少しずつ延びていきます。これは、自分の存在を肯定されている事実に気づくためです。
自分が生きていく上で絶対に必要なこの人たちにとって自分がかけがえのない存在だと疑いなく信じられていく過程。
自分はここにいていいんだ。笑ったら嬉しいんだ。人の体温て心地いいんだ。そんな感覚。
言葉ではわからないでしょう。しかし確かに、そういった体感を会得していきます。
実際、親が笑っていると子供は落ち着きますが、親が全く笑わないと子供の精神状態は非常に乱れます。
実験するまでもなく、子供は抱かれることを求めます。
そんな時間の中で飢えは少しづつ満たされていきます。そして、この満たされた愛はすべての自分の好みの対象に向けて放電されていきます。
ぬいぐるみであったりボールであったり、友達であったり。
親からしか受け取ることのできなかったそれは少しづつ、その効力範囲を広げていきます。

自分で充電する場所を見つけ出し、仲間同士で充電しあって、その容量を少しずつ増やしていきます。
そしていつか恋人と分け合うようになり、そして今度は自分達が生み出した餓鬼に注ぐわけです。

一方、幼少期に親の愛情を十分に受けていない餓鬼は、大きくなっても餓鬼のままです。
愛に飢えた餓鬼は、愛情欲しさに自分の存在をアピールします。

自己顕示欲の強い同級生を想像してみてください。
きっとその家は、兄弟が多いとか、片親だとか、変わった両親だとか、何かしら、愛情が不足している要因が見受けられるはずです。
そして、愛で満たされていない餓鬼と餓鬼が恋に落ちるともう大変。
お互いに依存し合い、傷つけ合うとても険しい道のりです。
挙げ句の果てに子供をつくってしまったり。
餓鬼と餓鬼が餓鬼に愛情を目一杯注げるかと言われればもちろん無理で、大元の愛が足りていないのだからこれは本当に負の連鎖です。
でもこんな事例のいかに多いことか。

次回は、実例からもう少し掘り下げたお話をしてみます!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?