推しが唐揚げだったら

推しが唐揚げだったら、頭の先からつま先まで美味しそうなので、存在全てを推せる気がする。

でも、時間の経過とともに冷めたり、ジューシーさが失われたり、腐ったりするだろうからずっと推し続けることは出来ない。

推しの過去を愛することは出来るだろうか。
唐揚げの場合は生肉の状態のことなのかもしれない。
加工される前の鳥とか、農場とか、提供してくれるお店に対する感情は、アイドルの親に対しての「お子さんを産んでくれて、こんなに素敵に育ててくれてありがとう!」みたいな感じなのかもしれない。

その推している唐揚げが自分のものではなくなったら推せるだろうか。
結局は自分に対してファンサ(美味しさ)を提供してくれるから推しなのであって、他人のものになってしまった推し(他人が食べる唐揚げ)を推すことは難しいのかもしれない。

推している唐揚げがレモンやタルタルソースをかけられたり、甘辛いタレで煮られたりといった、イメチェンしても推し続けれられるだろうか。

推しも、唐揚げも、推す側であるファンも、絶え間なく変わり続けるこの世界で『推し続ける』という行為は非常に難しいことなのかもしれない。

でも推し続けられなくとも、その一瞬に美味しいという感情があったことも事実だと思う。

『推し続ける』という生き方ほど美しいものではないのかもしれないけれど、食へのリスペクトを忘れず『最高の一口を求めながら美食の旅を続ける』という生き方も悪くはないのかもしれない。

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