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輪島の朝市とはこういう場所であったのか――ゆたかなことばと土地の恵みを伝える絵本『あさいち』

【読んだ本】
◆大石可久也 え/輪島・朝市の人びと かたり『あさいち』(1984年、福音館書店)
 
能登に微力を贈る
 はじめて降り立った八王子の街で、どんな書店があるか見ておきたいと、くまざわ書店も気になったもののショッピング・センター〈セレオ〉内の有隣堂書店を訪ねる。
 有隣堂にはあまり行けないが、横浜や恵比寿で買い物をしたことがあり、よい書店だと知っている。八王子店は、とても素敵な店づくりだった。広々とゆったり――そして、放射線状に展開されている特異な棚の並びが、「中世に建てられた修道院の大きな塔に設置された図書館か!」としばし錯覚を誘う空間に思えてきて、回遊する楽しさがあった。
 岩波の現代全書シリーズは、並べて棚差ししている書店はそう見ない。そこから1冊、そして岩波文庫からも1冊ピックアップすることになったが、その前に児童書売場の平台に絵本『あさいち』があり、「そうか、きょうはこれを買うことになる日だったのだ」と納得し、計3冊をたずさえてレジへ。よく考えると、その3冊は「地域」「方言」という点で共通するところのある内容だった。
 『あさいち』は、輪島朝市が活写され、とどめられた絵本である。素敵な書店でこの素敵な本に出会えてよかったが、しかし、1980年に〈かがくのとも〉の月刊絵本で出され、1984年にハードカバー化されたこの本が、2024年4月に第7刷となったのは令和6年能登半島地震を受けてのことである。そして自分にとって輪島は未踏の地であり、訪れたことがないのに今はなくなってしまっている朝市に、この絵本を通してはじめて出会うということが何ともいえない複雑な思いのすることだ。
 本書の利益は災害義援金として、日赤に寄付されることになると帯文にあった。寄付だから、それは能登にささやかな力を贈ることになり、よいことなのだろう。けれど、それにもまた何ともいえない複雑な感じがする。さらに、画家が冬季に取材し絵本の原画を制作したのは1979年以前という、45年以上前にさかのぼることであり、この絵に描かれた年老いた人びとの多くは、もうすでに亡くなっているのかもしれない。それもまた、上と同様の整理できない感情をもちらす。
 
市」を回遊する
 全部で28頁、見開き全13画面に前扉と後扉がつく。左綴じの絵本で、左から右へと絵は流れていく。
 第1画面は夜明け前の港。漁船の帰りを待つ人がいる。次の画面は雪でおおわれた畑。これも夜明けまえだから、畑にかぶさる雪は氷結していることだろう。第3画面は橋だ。左から右へ、荷を運ぶ人たちが何人か通る。そして第4画面で、朝市のとばっ口にたどりつく。広い通りにリヤカーがある。通りの商店の前に広げられた台やテントが目に入ってくる。
 次画面からは、水平的にカメラが動かされるように、朝市が左から右へ展開していく。計9画面分つづく長い朝市が、一人ひとりの売り手を焦点化するための空間として用意されたのだ。
 このページ構成は見事すぎやしないだろうか。導入に産地を想像させる「港」と「畑」の画があり、「市」の世界につなげる橋がかかっている。その橋は、どこか孤独感のある労働の場からにぎやかに人びとの集う交換の場へとかかり、また「夜」から「朝」へとかかる。橋の向こうが「朝」「市」という、ここを訪れる人にとっての生活空間なのだ。
 生活だから時間は流れていき、売り買いがされる場では品物とお金だけではなく、ことばも飛びかう。おしゃべりなこの絵本は静止画の連続ではなく、ゆたかな土地のことばで満たされ、それにより動きが与えられている。うごめき、つぶやき、どよめく人びとが、ことばに負けないゆたかな土地のめぐみを手に取り、人に見せ、売り込み、人の手に渡すのだ。
 「いっぺえ」「ちびてえ」「こうてくだ」「いらんけ」「うめえげ」「ええし」などと発せられることばの間に、品物を用意する苦労や家の事情、前年の天気、過去の景色も見えてくる。そのように、ここにいる人は仕事や家族、自然や伝統と結ばれ朝市を構成している。
 ああ、輪島の朝市とはこういう場所であったのか!

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