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【イベントレポート】2/23(木・祝)『唯一、ゲオルギア』上映後前田弘毅さん(東京都立大学 人文社会学部教授)トークイベント開催

―まずは簡単にプロフィールをお伺いできますでしょうか。

前田弘毅(以下、前田):東京都立大学にて、ジョージアを中心としたコーカサス、そして中近東・中央ユーラシアの歴史を研究しています。

―率直に、研究者の前田さんからみて、『唯一、ゲオルギア』はいかがでしたでしょうか。

前田:4時間を超える作品で、さまざまな見方のできる映画だと思います。私は映画評論家ではありませんが、イオセリアーニ監督は映像と音の魔術師といいますか、繊細なさまざまな感情を見事に描き出す監督ですね。しかし、この『唯一、ゲオルギア』という作品では、1990年代初頭の内戦と民族紛争を実際の戦場(戦争)の映像なども含めて描き、非常に珍しくストレートに“怒り”というものを発出している。これは何に対する怒りなのか?この点も含めてさまざまな問いを投げかける映画です。ちょうど30年経って、ウクライナという旧ソ連空間の一部で、再び大きな戦争が起きている現在、改めて非常に大きな感銘を受け、考えさせられました。


前田弘毅さん(東京都立大学 人文社会学部教授)

―目をつぶりたくなるようなシーンも劇中にはあったと思いますが、本作を観るポイントをお教えいただけますでしょうか。

前田:まずは、90年代初頭の民族紛争・内戦。これは日本ではほとんど知られていないことだと思います。今ジョージアは、ここではゲオルギアと表されていますが、もともと肥沃な国土と美しい伝統文化を誇る国です。我々が旅行などで訪れますと、現在は戦争の復興を遂げて、近年はワインやツーリズムも発達してきました。元々とても開放的な国民性で、お客さまを歓待するという、日本の古い文化と通じ合う部分もあるかと思います。今非常に豊かになりつつあるんですが、しかし30年前に何があったのか、まずそこをしっかりと時間をかけて観ることができる。そこが一つ目のポイントです。
 
それから20世紀という時代ですね改めてソ連というものがどういうものであったか、それが遠い記憶になって、授業で教えてますとなかなか伝えるのが難しいんですけれども、いわば「クレムリンの時代」、イオセリアーニ曰く「うそがシステム化」されていた社会。こういったことに関しても、改めて映像を通してみることができる。一方で、大衆文化が花開いた側面もあります。ロシア帝国時代やその後の第一次独立期など、やはり日本でほとんど知られていないジョージア史の多様な展開を美しい映像コラージュで知ることができるのは本当に貴重です。盛りだくさんで、この映像を使った講義などもしてみたいと思いました。
 
そして何より、ジョージア(グルジア)の映画がソ連の中にあっても、傑出した才能が集まっていて、そして芸術から辛らつな政治批評まで、文字通り息もできないような窮屈なソ連時代に、あれだけさまざまなテーマの映画が、20世紀を通じて撮影されてきていたこと。イオセリアーニはそういう意味ではまさに自分を育んだジョージアの伝統文化、特に映画製作の世界でですね、これに対するオマージュも込めている。ですから、あの極限の状況でそれを本当に芸術作品にまとめあげた彼の凄さをひしひしと感じました。
 

『唯一、ゲオルギア』(94)

―ほかのイオセリアーニ監督作品をご鑑賞の方は、違いに驚いたかもしれません。ちなみに、前田さんは95年に、ジョージアを訪れていらっしゃるんですよね?

前田:はい。パンフレットでも少し触れさせていただきましたが、私が最初にトビリシを訪れましたのは、1995年の秋、9月頃です。この映画の編集が終了したのが94年の1月で、95年の4月までトビリシ市内は戒厳令があり、夜間外出禁止だったんです。私が訪れた9月はじめも、そもそもそのひと月前にもシェワルナゼ(シェヴァルドナゼ)、当時まだ大統領ではなかったんですが、彼を狙った爆弾テロが起こった直後でした。そんななか、内戦の傷跡はまだ非常に生々しく、内戦で近い親族が亡くなったという方を沢山知っています。私のホームステイした家庭では、内戦勃発時にたまたまおなかに子どものいた親族が遊びに来ており(内戦は年末に突然起こった)、その様子を心配して救助に駆けつけた夫が家の目の前で兵士に殺害されたという話も聞きました。アブハジアなどでの民族紛争でも、それまで近い付き合いをしていた隣近所で突然隣人同士で殺し合いが始まったといっていました。ルスタヴィリ大通り、ジョージアを訪れられた方は ご存じのように非常にさまざまなお店が並んで、活気溢れる美しい大通りですが、あの通りもまだ半分以上のお店が閉まっていました。またトロリーバスのフロントガラス全面に銃弾の撃ち込まれたあとが残っていたことをよく覚えています。ソ連時代に起きたハイジャック事件の悲劇もパンフレットの中で触れました。こうした事件の多くはまだわずか30年前の出来事なのです。
 

『唯一、ゲオルギア』(宴会を行う男性たち)

―本作の最初には、「これがロシア近隣国の日常だ」という言葉が出てくるかと思いますが、ちなみに現在のジョージアとロシアの関係性はどういった状況でしょうか。

前田:ご存じの方も多いかもしれませんが、2008年にジョージアとロシアは戦争を行いまして、現在も国交関係は断絶中です。ですから、ウクライナとの戦争に関しては、世論のほとんどがウクライナを支持しています。ただやはり、私もコロナ禍でなかなかジョージアを訪れられないなか、昨年秋に3年ぶりに訪れましたが、一部報道があると思いますが、ロシアからの難民が大量に入っており、トビリシ市内はロシアの、特に若い方がたむろしているという状態になっています。ではなぜ戦争した相手の国から難民を受け入れるのかと疑問に思う方もいらっしゃるかもしれませんが、やはり人道的な意義もありますし、現在のジョージア政府が外交特別代表というものを任命して、ロシア政府と常に交渉は続けているんです。やはり隣国の大国、かつて支配された大きな国でありますから、完全に無視して突っぱねるというわけにはいかないです。そこが非常に難しい。それがジョージアという国なのです。

劇中にも描かれていましたがソ連の時代の前の部分、トルコ、イラン、モンゴル、あるいはローマ、ペルシア。そういったさまざまな諸勢力の間でバランスをとってきた。ジョージアというのは人々が紳士的で、自然の風景は日本ともよく似ており四季もはっきりしていて、非常に美しい国で、なんというか親近感を私ももちろん、彼らも思ってくれています。感情も細やかで。ただユーラシアのなかでも揉まれた歴史といいますか、有名なのはトビリシ郊外にある“ジョージアの母”という像で、盃と剣を持っています。「客としてくるなら盃を、敵としてくるなら剣を」といった意味が込められた像がある国です。ジョージア数千年の歴史のなかで、繰り返されてきた悲劇、こういったものをイオセリアーニは世界に訴えなければいけないと思っていたと思います。そういったメッセージ性という意味でも、彼の作品群のなかではある意味異色でありますし、やはり90年代初頭の“今しか撮影できない”というタイミングで、彼の訴えですね、おそらく彼は国を代表して訴えるようなタイプではないと思いますが、しかし声をあげなければいけないんだと。当時シェワルナゼに対する反対派も非常に強く、この作品ではガムサフルディアという追放された大統領を徹底的に非難していますが、実際には今でも彼のシンパはジョージア人の中に少なくありません。民族紛争も解決の目処は立っていません。そういった難しい部分は今のジョージアのなかにも実はある、ということは、ここで触れておきたいと思います。
 
また、首都トビリシを含めてジョージアにはさまざまな民族が住んでいて、そこが国の魅力でもあります。そこはイオセリアーニ監督も非常に配慮しており、美しい映像を楽しむことができます。現地でもぜひ機会があれば様々な文化スポットを訪れて欲しいです。劇中にはカトリックの儀式も出ていましたね。ジョージア人自体、山の人、平地の人みんなタイプが違い、言語なども含めて非常に多様な美しいジョージアの姿をイオセリアーニ監督は自覚的に描き出そうとしている。まさに“唯一、ゲオルギア”。ジョージア全体を包み込もうとする彼の愛情あふれた眼差しは、ほかの映画とも共通する優しさがあると思います。

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