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どん底にも光はさすのか

考えてみると、28歳になった今年の誕生日は、近年でもっとも地味だった。
美容院に行って誕生日サービスのトリートメントをしてもらい、ひとりでパスタを食べて、夕食の買い物をして、帰宅して家族の分のハヤシライスとサラダを作った。

そんな誕生日を迎える数週間前、わたしは地方の移住先で1人、ぼろぼろだった。
出勤中の車内で号泣し、夜になると4,5時間涙が止まらなくなり、嗚咽したままその晩の食事を戻す。食欲が失せてすとんと体重が減り、髪は減り肌は荒れ、逃げるようにして帰郷した。
帰省中の電車内でまた泣いた。

職場でトラブルが立て続けに起こってショックを受けていた矢先、
信頼していた、「ああこれでやっと心が通わせられるかもしれない」と思っていた人に、目の前で手を離された。
結局それもわたしの一方通行の想いに過ぎなかったと思い知らされた。

そこから1ヶ月、地元に帰って友達に会い、友達とゲームをし、本を読み、あてもなく散歩をした。
家は家で問題が山積みなので、すべてを忘れて何も考えず、というわけにはいかないのだけど、それでも時間が心のバランスを取り戻してくれたように思う。

そして2週間前から、移住先に戻ってすこしずつ活動を再開している。
戻った途端ショックな出来事がふたつ。
もはやここで息をして生活していればそれだけでいいやと開き直りはじめた。
ここにいて続けることに意義があるかもしれないと、何もしない自分を正当化することにした。
戻ってからは、まだ泣いていない。

信頼したかった人と過ごす時間は、ふにゃふにゃで、穏やかで、でもすこし緊張して、たのしかった。
戻ってからのその人は、凍った粘土みたいになってしまった。冷たくて、硬くなって、2人で話していれば自由にどうにでもできるような温かさはどこかに行ってしまった。
初夏に崩した体調がまだ持ち直していないどころか、日々悪化しているらしい。近くにいられる時間は、あまり残されていないようだ。もうわたしがどうにかできる余裕はなさそうだった。
それなのに未だに心が求めてしまっているのが、もうよくわからない。離れることでこの気持ちもいつかなくなってしまうかもしれないのが、悲しくてたまらない。
わたしが逃げたことで失ってしまった信頼を、ここにいる間に取り戻せるのか。

ここにいる間に、途絶えてしまったつながりが多すぎる。仲良くしたかった、好きだったつながりが、驚くほど次々に切れて消えてしまった。

貯金も、人脈も、スキルもないわたしの唯一の人生のモットーは、
「今が一番楽しい人生をおくる」
である。ここにきてはじめて脅かされようとしている。
続々と起こるトラブルや不運の数々に、首を傾げるしかない1年だった。

数年前父を亡くして呆然としていたあの年と、似たような無力感を覚えている。
いま、どん底の底。ここまで光は届くのだろうか。

どうにか残りあと2ヶ月の間に、今年のうちに、しがみつける光を一筋でも見つけたい。
いつかやった『無職日記』みたいに、毎日何かを考えて、残して、それで救われるかどうかは、まだわからないけれど。でも実際あのときはあれで救われた。

今年中に100本、日々noteを更新しようと思う。
もう1日1本じゃ間に合わない、必死なペースで。
年が明ける頃にはどうか、朝日がさしていますように。

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