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無職日記 最終回

厳密にはもう仕事が始まって3日になるんだけど。

仕事柄、歳下の知り合いが多い。
先日、昨シーズンわたしの職場にインターンで来ていた大学生たちと再会してお酒を飲む機会があった。
そのとき意図せずして、恐れ多くも
わたしが文章を書く意義にたどり着く。
今のところ思い上がりでしかないし、まだまだそんな域には達していないと自覚はしているんだけど。
謙遜はそのくらいにして。

定期的に死にたくなっちゃう女の子ってすごく多い。
自信のなさが自虐を通り越して遠回りしているような。
自分嫌いが突き抜けて全世界を恨んでいるかのような。
それはかつてのわたしであり、調子の悪いとき奴は未だにときどき姿を現す。
だからこそ、その感情は1人だけのものではないと、
わたしは文章を書くことで伝えたかったのではないかと。

でもそういう女の子は、「わかるよ、同じ気持ちだよ」っていう共感の言葉を求めているのではないことも知っている。何故ならわたしがそうだから。
それでも、そんな死にたい気持ちや自信のなさを救うことまではできなくても、
その自分に向いてしまっているベクトルや大きすぎるエナジーを、
自分以外の人間や外に向けることで、ガラッと身の回りが輝きだす。
そういうことを、伝えたいと思った。

わたしもまだまだで、
ネガティブ思考と自信ほしさのせめぎ合いで毎日闘っているうちに、
ようやっと、そのことに、気づいた。
そしてまだ、わたしはその戦いの途中である。
幼稚な思考だと、いい歳して、とどんなに周りに言われたとしても、
わたしは考え続ける。
そういうことを書きたい、伝えたい、と
泥酔したまま横になったホテルの一室で思った。

卑屈は一種の自慰行為である。
自虐を否定してくれる周りの言葉とか、自分のことを嫌いでいる感情とか、
かなり気持ちがいい。
でも使う時と場合と頻度を間違えると、
それは周りへの迷惑になったり寂しさに変わってしまったりすることもある。
卑屈じゃなくなること、自分を好きでいようとすることは、
ネガティブが癖になるととてもつらい。簡単なことではない。

毎日続けるといって始めた無職日記、
結果的に2〜3日に一回の更新になってしまったけれど、
元来怠け者で三日坊主のわたしにしてみたら上々なのではないかと。
そしてわたしは、こうやって文章絵を考えて書くことで、
なんとなくの自信が得られるのだと知ることができた。
生きる意義失いがちな無職期間でも、こうやって日記を書くことで救われた自分がいるから。

方法を探し続けなければならない。
遅すぎることはなくとも、もう若くはない。
やりたいことはたくさん。そして明日は早朝出勤。
わたしのモットーはいつも楽しく笑顔で、愛を持って。

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