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働かないのは「働かないおじさん」だけではないような気がする

 旧友と久しぶりに長話をする機会があった時にいろんな愚痴を聞いた。

 別にそれが嫌だとか言いたいのではなくて、私自身が閉鎖的な業界で仕事をしてきたので、世の中の人たちがどんな感じで仕事をしてるのかを知る良い機会なので、そういう時は割と聞き役に徹している。傾聴するというような高尚な雰囲気ではなくて「えー。ないわー、それはないわあ」みたいな相槌を入れて、野次馬的な聞きっぷりで。

 その時に聞いたのは、注文を貰う立場の会社Aの人である我が友人が、注文する側の会社Bの人からたかられる話。A社の人たち(技術&営業)がたまたま二人揃ってApple Watchをしていたところ、B社の担当者が「いいねえ、それ。僕も欲しいなあ」とニヤニヤされたらしい。

 おわかり頂けるだろうか?

 は? 何が?

 後日、再度訪れたところ、B社担当者の腕にはApple Watchが巻かれていて、A社は注文を逃してしまった。

 は? なんで?

 つまり、担当者は腕時計を贈ってくれた他の業者と契約したのだ。そういう担当者の気持ちを汲むことができる『忖度スキル』が契約を左右する(こともある)らしい。

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 先週、文春オンラインにこんな記事が載った。

なぜ「働かないおじさん」が生まれてしまうのか
"新卒入社後、同期入社の仲間たちと、管理職に向けた出世レースを繰り広げる。一定の年次になると、上に昇れない人たちが出てくるが、彼らは会社の都合で様様な職場をたらいまわしにされた結果、軸となる専門性が身に付いておらず、賃金にみあった仕事ができない。それでも、年功序列、終身雇用のもとで、年収があまり落ちず、クビにもならない。すると、向上心がなくなり、やがて働かなくなる。こんな構造だ。" (文春オンライン)

 最初、読んだ時には当然「こんな風に働かないおじさんにはなりたくないな」と思い、「出世できなくても『働かない』なんてことはしたくないな」と自分に問うてみたりもした。でも、友人の話を思い出して「待てよ。こりゃちょっと違うのではないか」と思いなおした。

軸となる専門性が身に付いておらず、賃金にみあった仕事ができない。

 ほんとうにそうだろうか?

 というか「管理職に向けた出世レースを繰り広げ」て「上に昇った人たちは、果たして「軸となる専門性が身に付いて」いて「賃金にみあった仕事ができ」たから、なのだろうか。

 違うんじゃないだろうか。

 前述の話で言えば『忖度スキル』があるかどうか。得意先だけでなくて、社内の人間関係でも同じ。上司にゴマをする処世術に長けているかどうか。あるいは、理不尽な要求に耐え、部下や派遣社員に嫌な仕事は押し付け、下請け先に物乞いをし、責任逃れが上手で、手柄を盗むのが得意。そういったあれやこれやがニッポンのサラリーマン社会では、注文先の選定や出世の基準となっていないだろうか。

 そういう基準で仕事をしていると、上に昇れなかった人たちだけでなく、上に上がった管理職だって「軸となる専門性が身に付いておらず、賃金にみあった仕事ができない」人が出てくるだろう。専門性なんて身につけてる暇があったら、忖度スキルを磨いたほうが受注実績もつくし出世も出来る。ニッポンのカブシキガイシャではむしろそれが暗黙のルールなのではないか。

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 それでも、この記事に同調するところがあるとすれば、若い世代に希望を託すところだ。

「働かないおじさん予備軍」ともいえる40代にこそ変化の鍵がある。この世代で、非管理職のエキスパート人材を生み出せるかどうかが重要になる。

  今もうすでに40代の人を変化させるのでは手遅れな気もするけれど、20-30代を大切に「立派な40代」に育て上げられるか。出世しなくても専門性で喰っていける人材を育てているかどうか。忖度するしか能がない社員を育てていないか、忖度ばかりの太鼓持ちを卑下する雰囲気があるかどうか。

 まあ、難しいだろうなあ。会社全体がそういう空気に塗れてたら。

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