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大人ってずるいや!って気づいた瞬間、自分もずるくなる

大人ってずるいや!そう思ったこと誰だってあるでしょ!

色々な意味の「ずるいや!」があったと思います。

大人って好きなことできてずるいや!大きくてずるいや!なんでもできてずるいや!今思うと可愛い「ずるいや!」

でも、皆さんありませんか?もう少しダークな「ずるいや!」

例えば、自分が親に言われた覚えのないことを「聞いていない」と伝えても「なんでちゃんと話をきかないんだ!」と怒られたのに、親が自分の頼みごとを忘れていて「言ったのに!」と怒っても「聞いていない!」の一言で負けちゃうとか。これは先ほどより、少しダークですが、まだまだかわいい感じ。あるあるって言えちゃいますよね。

私は経験したダークな「ずるいや!」は2つあります。

1つは小学4生のころ。私の小学校では2限と3限の間に元気っこタイムと称される40分の休憩がありました。原則として外で遊ぶよう言われていますが、小学4年生にもなると毎日外で40分遊ぶのは飽きてきたり、面倒くさいと思うようになるのです。特に夏の猛暑日だとか、冬の寒い日とか。そんな上級生をみかねて先生たちが元気っこタイムになると校舎内を巡回するようになりました。教室で遊んでいる子たちを外へ行くよう命じるです。小学生4年生にもなると、少しおませさんになる時期です。女子は百均の化粧品コーナーに興味を持ちだすような時期です。男子は「俺」と言い出す時期です。そのため、赤白帽子がとてつもなくダサくてかぶりたくないと感じるようになるのです。赤白帽子がダサい。そんなことがなんとなく皆が感じているなか、同級生が帽子をかぶっていなかったら、「あ、いいんだ、それ」となりますよね。それで小学生高学年の子たちが帽子をかぶらない人が多かった時に、学活の時間で先生が険しい顔をして言いました。「最近、元気っこタイムのときに赤白帽子をかぶっていない人がいるそうですね」と。

クラスの3分の2以上がギクッとなったことでしょう。担任が追い打ちをかけます。「職員室から誰がかぶっていないか私は見ていました。怒らないから素直に立ちなさい」

ここで賢い生徒は「見えるはずないじゃん」「見えたとしても証拠ないし、見間違えとか言えば終わる話」と気づいたのでしょうが、よく言えば素直で悪く言えばおバカな生徒は気づきません。「どうしよう」「怒られたくないけど、黙ってるほうが怒られちゃう」「本当にバレてるのかな?でもそういってるし」私は後者でした。

クラスの3分の1ぐらいがその場に立ちました。起立した者は座っている者を見ながら「あ~あ、今素直に立ってたら怒られずに済んだものの・・・」と内心笑っていたのですが、どうやら私たちがおバカだったようです。

先生はなぜ帽子をかぶらなかったのか一人ひとりに尋ねてきました。また班長であった者には特に厳しく何度も質問をしました。私は班長でした。「班長なのに」と言われるたびに「班長なんかやるんじゃなかったなぁ」と思いました。1時間ほど怒られたときに反省の気持ちの後にふつふつと違和感がこみあげてきました。

結局、起立した者には反省文が課されました。黙っていた者は何も課されなかったのです。

あれ?と座りながら、悶々としていました。確かに校則を破ったのは悪い事だよね。そうだよね。怒られて当然だよね、でもさ、先生・・・素直に立ったら怒らないって言ったよね?先生。あの子もあの子も座っているあの子たちも帽子かぶってなかったよ。なんで言わないの?見てたんでしょ?あの子たちも校則破ってるよ。それどころか素直に立たなかったよ。

違和感がぐるぐると胸の中いっぱいに広がっていきました。

もしかして見えてなかった?もしかして嘘ついたの?何のために?

私はいつだって優等生で先生の言うことさえ聞いとけば怒られないし、成績だってあがる。先生の言うことを聞かない奴らはなんて馬鹿なんだと思っていました。あれ?今回わたし、先生のいうこと聞いたのに。あれ?

「大人ってずるいや」

見せしめだったんだ。見えていなかったんだ。立った私たちが馬鹿だったんだ。そうか。そうやって裏切るんだな。人からの信頼はそうやって使う方法もあるんだな。へぇ。校則を破ったのが悪いこと。それをあぶりだすための嘘だったんだ。素直な私たちよりも、黙って嘘ついてるあいつらの方が罰がないんだ。大人ってそういうやり方もするんだね。

2つも小学6年生のとき。小学校ではお菓子を持ってくることは禁止。私の学年は過去最高に学力も態度も悪い学年と地元で言われており、私たちの学年だけヘアアクセサリーは禁止、黒ゴムのみ使用、男子は前髪は顔にかかるな、など厳しく指導されていました。授業面でも各クラスのテストの点数を競わせ、勉強できない人のせいで他のクラスに負けたら班員がその子を徹底的に勉強を教えるなど、小学生のプライドをうまく使ったかのような教育が多く行われていました。

学活の時間、先生がおもむろに口を開きました。「今日はバレンタインデーですが、皆さんお菓子は持ってきていませんよね?」日頃から他学年より圧迫した指導をされた私たちにとって、イベントくらいいいじゃないかと思う気持ちがありました。他の学年の子は可愛いシュシュをつけてるのに。他の学年の子は髪の毛自由なのに。他の学年の子はテストを競わされないのに。他の学年だってお菓子を持ってきていることは分かり切っていることでした。だからこそ、自分たちだけ何故だめなんだという気持ちが強くありました。

私は小学4年生のころで懲りていたのでバレンタインはお菓子をもっていかずに、放課後に友達の家を回って渡そうと考えていました。やましいことをしないほうが楽だと思ったのです。しかし、朝でかけるとき、母親が「もっていかないの?」と聞いてきます。

「だって校則でもダメって言われてるし。先生だってなんか言ってくるよ」

「でもみんな持ってくるんじゃないの?先生も無理やりカバンチェックするわけでもないんだし、何か言われても黙ってればいいじゃない。しかも夕方っていっても暗くなるのが早いんだし、放課後回るのも危ないよ」

母の言葉もあり、私はカバンいっぱいにラッピングしたお菓子をつめて学校に向かいました。私がうきうきして準備していたこともあり、母としても軽く言った程度だったでしょう。

しかし、先生は母親が思うほどストイック(笑)な教育方針でした。

「今から一人ひとりカバンチェックをします。もしお菓子など持ってきている人がいたら今すぐ出しなさい。そうしたら注意だけにします」と言ってきました。

2年前のことが思い出されます。だけどあの時と決定的に違うことはカバンさえ開けたらお菓子があることがバレること。先生に認知されるのは避けられない事です。あの赤白帽子とはわけが違う。そのため、あの時より多くの女子がいそいそとロッカーに向かいお菓子を机の上に出しました。私はランドセルではなく、もう1つお菓子を詰めるためだけのカバンを持ってきていたので、それを机の上に置きました。すると先生が「中身を全部出しなさい」と言われ、みじめで泣きそうになりながらお母さんと一緒に包んだお菓子たちを全部出しました。私は特に数が多かったので担任から「こんな持ってきたの?ひどい」とみんなの前でなじられました。数が多いのは友達が多い証なのに。そうすると先生はあらかじめ準備していたであろう段ボールにみんなのお菓子を全てつめこみ、「放課後職員室前に来なさい」とだけ言って、道徳の授業を始めました。私はお母さんと一緒に楽しく作ったお菓子たちが雑に段ボールに放り込まれるの見るしかできませんでした。

その後は私のクラスだけではなく他クラスから来た女の子たちが職員室前に集まっており、1時間ほどこっぴどく怒られ、校長先生と教頭先生に謝りに行かされ、反省文を書き、書き終わった者から職員室に入り、そこでまた10分ほど怒られ、お菓子を返してもらいました。

「こんなに持ってきたの?どうかしてますよ。たぶんあなたが一番多い」

私のお菓子はどうかしてるお菓子らしい。

すっかり暗くなってしまって、確かにこの中自転車で配りにいくのは危ないかもなぁと思いながら家に帰りました。母親はなんとなく察したのか、「今から配りにいこっか」と一緒に配りに行ってくれました。

次の日、先生の顔すら見たくないなぁと思って学校に着くと昨日の件で持ち切り。どうやら何も言わない生徒だけが例のごとく助かったそうです。カバンチェックを無理やりすることなど不可能だったそうです。私はもう悲しみでいっぱいでした。どうして。どうしていつもこうなるんだ。お母さんにも悲しい顔をさせてしまった。なのに、どうして平気で黙っている奴らが得をするんだと。なんでいつも通り笑って授業できるんだ、このくそ教師が。お前らはなんで嘘をつくんだ。なんでいつもこうも馬鹿にされなきゃいけないんだ。お前らの手のひらで転がされなきゃいけないんだ。ふざけるな。お前らよりも少ししか生きていない馬鹿どもを嬲りやがって。

「本当に大人ってずるい」

このようなことが中学校に入っても何回かあります。そのたびに私は黙って過ごしていました。実際にやっていないこともありましたが、「このことを知っていた人は手をあげてください」など目撃情報まで全て見て見ぬふりをしてきました。そうしたら先生たちや底辺同級生のくだらない教育とやらに付き合わなくていいからです。

大人への羨望であった「大人ってずるいや!」が、こうも憎たらしい言葉になるとは思いませんでした。ただ、その言葉の側面に気づいたとき、私は素直でもない「ずるい」人になっていたのですね。

昔の私は自分がどんどん「ずる」くなることに恐怖を感じていました。自分が汚れていくような、なんとなく親の目を真っ直ぐ見れないような感覚に陥りました。そんな昔の私のようなおバカな人に伝えたい。

今狭い世界の中でどうしてもあらがえない何か(先生や大人、親、友達、制度、権力)を前に自分さえも「ずるい」人にならないと馬鹿をみることになるあなたへ。どうか汚れてください。それでしか身を守らせてくれないのなら、それどころか火の粉さえ降りかかってくるなら「ずるい」人になったってかまいません。大人になった私がその汚い過去すら受け止められるような、羨望に溢れる「ずるい」人になります。