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一見[トンデモ]に見える健康サービス事業へのスタンス、あるいは「メジャー」の独善への自省について

 ある人のFacebookですスレッドで「土佐清水病院」と言う健康サービス施設のことを知りました。この施設が行ってる事を私ははじめて知ったのですが、病院のHPを見て大変興味深く感じました。何が興味深いのかというと、保険診療以外で行われている健康サービスについて、いわゆる本道の医療の人たちが感じる陰性感情を解き明かしていく上でとても印象的なテキストではないかと言う感覚を持ったのです。もしご興味がある方は

http://tosashimizu-hospital.com/publics/index/77/ 

がホームページですのでご覧になってください。

さて、私の直感で以下の部分が私の引っかかりどころでした。箇条書きにします。

・ 実際に評判が良いところ。そして、多分実際にかなりの成果を出してるというところ

・ 活性酸素の排除と言う、過去に科学の世界でかなりもてはやされた理論応用しているところ

・ すべて自由診療にしているところ

・ 治療費用を公明正大にしつつ、めちゃくちゃ高いわけでは無いところ

・ 近所の旅館から通うというところ

・ 「病院」と言う名前を使ってるところ

・ トンデモ科学ちっくな「丹羽療法」という本を出しているところ

うーん実に味わい深い。

 さて、まずこのような保険診療の世界から見ればアウトサイダーであり、サイエンスの世界から見ればトンデモちっくなフレイバーが芳しいこのような治療施設の活動は、健康サービスにおける「メジャー」側としての我々保健医療者にとっては常に、なんとなく、皮膚感覚のレベルで「鼻につく」存在であるといえましょう。そして、私も含め多くの「メジャー」側の人たちがこれらの胡散臭そうな活動を批判する論旨の大半は、まず「科学的に立証されていないことをやっている」というものです。そしてもう一つは「患者を騙して金儲けをしている」と言うことです。確かにこの2つの論旨は巷に乱立するナンチャッテ科学ぽい健康サービスを批判するときになかなか的を得ている論旨なのです。実際に、「奇跡が起きた」と言う謳い文句で不安の渦中にいるたくさんの患者さんを巻き込み、ものすごいお金を巻き上げている業者も少なからずいることは事実です。ただ私は個人的には、たくさんある保険診療外のいわゆる「マイナー」な健康サービスをすべてうさんくさいだとかトンデモ科学だのかの理由で一刀両断すべきではないと考えています。

 その理由はシンプルに言うと2つです。1つは、我々メジャー側の医療も、マイナー側のそれらに負けず劣らず十分胡散臭いし、患者を不要な害に巻き込んでいる、という自省心からです。保険診療で行われる医療介入のほとんどは患者に対して少なくない害を与えます。さらに、その一部は絶望的な害を与えるのです。抗がん剤の副作用などはその最たるものなのですが、最近の高齢者医療においては身体抑制をすることによる人間の尊厳に対する迫害をメジャー医療はもっと真摯に受け取るべきだと思っています。ところが、巷の医学論文ではメジャー医療が患者に与える利益ばかりを宣伝し、その害について振り返ることが圧倒的に少ないとは私は思っています。そこについては、近藤誠氏などの医療不要論に対して部分的ではありますが共感するところもあります。

 もう一つの理由は、どうせ人間がわかってることなんて、世界の理屈の数%にも満たないのではないかと私が持っているということです。私は「オーラが見える」という人にあったとき、「へー、この人オーラが見えるんだ」と理解するタイプの人間です。別にそれは信じているわけではありません。ただ、私が見えないものを見える人がいるということは当然のことですし、私が見えてることを他の人が見えていないということもいっぱいあるわけです。であれば、「オーラが見える」ということを私は認識することができないわけですから、その人が言ってることがその人にとっての事実であると認識するしかない、というのが私の考えです。結局は科学というのも、ある意味見えない人たちが見えないなりに秩序を保つように作り出した約束に過ぎないと思っています。だとすれば、私が到底理解できない理解し、それを実践し、実際に世の中に影響を与えるということは当然のように起こりうるはずなのです。自分たちが理解できないからといって、それを「正しくない」とか「トンデモ科学」とかで否定することは、いろいろなチャンスをつみとっていく危険性があると考えているのです。

 では、乱立している保険診療外の健康サービスにおいて「これはアリなんじゃないか?」と「これはアカン」を分けるものは何なのでしょうか?

1つ目は、そのサービスが利用者に与える利益と害を両方正直に提示しているということだと思います。実践の中では必ずうまくいっていることとうまくいかないことが発生していきます。その中で、うまくいっているところだけを摘み取って「ほら、私たちの活動はこんなに素晴らしいのです」と綺麗なところだけを見せているとすれば、それはあまり信頼したくありません。

2つ目は、自分が知りうる限られた理論にある程度の親和性を感じることです。まぁこんなものはたいしたものでは無いのかもしれませんが、それでも、自分にとって全く荒唐無稽なものに比べると、それなりに自分の中での理解の足しなるかもしれません。

3つ目は、「メジャー」の道を断ち切っているところです。自分たちの提供するサービスがオルタナティブであるということを自覚し、それを自分たちを必要とする人に対してもしっかり理解してもらった上でそのサービスを提供するということは、とても誠実な行為だと私は考えています。これは構造的にメジャー側の人間はできないことなのです。メジャー側の人間は、自分たちがメジャーであるからという理由だけでクライアントをめくらましに合わせているということに自覚することがなかなかできません。しかしオルタナティブは、それができます。そして、それを誠実に実践していることは素晴らしいことだと思います。

4つ目は他の選択肢を断たないと言うことです。マイナー健康サービスの比較的多くが、メジャー健康サービスがもたらした利用者の害に対する怨念のようなものから発生してる事があります。そのような動機から発生したオルタナティブ健康サービスは基本的にもし自分たちのサービスを受ける気持ちがあるのであれば、メジャーの保険診療を受けないということを前提としてほしい、と言う条件を出すようなことがあります。これは、メジャーによるマイナーの迫害をそのままなぞってやっている事なのかと私は解釈します。

5つ目は、具体的な成果です。どれぐらいの人が来てどれぐらい効果があったのかということについて、その成績が公開されているという事はやはり大切なことです。ここで重要なのは、その成果が分子/分母で表現されているということです。「30人の人に奇跡が起きた」と言ったとしても、1万人のうちの30人であればまぁそれは偶然でも奇跡は起きるかもしれません。

6つ目は、その事業を行うことの意図そのものです。すなわち、お金儲けのためではなく、クライアントに対する利益を第一に考えているということです。正直、サービス事業者の本当の意図を知るという事はほとんど難しいのですが、それでも、例えば付加価値の部分でお金を積み上げないとか、保険診療のオプションとして自費診療をハイブリットで行っていないかとか、このようなところは1つの判断基準になるかもしれません。また、請求するお金が高すぎないということや、あらかじめどのぐらい費用がかかるかということを公開していることも1つの判断要因となります。土佐清水病院さんがなかなか良いなと思ったのは、宿泊に関しては近所の旅館で行い、あくまでも自分の施設は治療の部分に利用者が払う金額を特化させているというところです。

最後の7つめは、このサービスが自費であるということを明確に出していることです。健康サービス提供における倫理原則の中で、「公正原則」というものがあります。これは、健康サービスを必要としている人に対して、可能な限り公正で平等な医療提供すべきだという考え方です。私は、すくなくともこの日本で社会保険制度下で健康サービスを提供する人間の立場としては、この倫理原則は大変重要なものとして位置付けています。お金をたくさん払えば良いサービスが受けられるとか、社会的なステータスが高い人の方が良いサービスが受けられると言うような事は、原則的に保険診療の中であってはいけないと思っています。しかしながら、保険外のすべて自費で行われる「救いのサービス」はその限りではありません。それは、占いとかスピリチュアルヒーリングとかと基本は並列なのだと考えています。

これらの基準を当てはめていくとき、土佐清水病院のやってる事は「割とアリなんじゃないか」と私は個人的に思いました。ただ、以下の点についてはやや疑問の残るところはあります。

・ 良い結果とともに、どのような想定される不利益があるのかということについて説明がなされているのかどうか

・ 「病院」と言う言葉はどうしても保険診療と紛らわしい印象を与えるので「治療院」などの言葉を使ったほうが良いのではないか

・ 評判が良くなればなるほど、その存在が「メジャー」なものになってくるので、そのサービスを受ける際に、利用者の方にあくまでも保険診療がメジャーであり、これから自分たちが提供しようとしているものはマイナーなものであるということについての理解を促しているのかどうか

・ がん治療などについてはどうしても保険診療と自らの治療が相反することがあるため「病院の医療は受けないでください」ということになってしまうのは致し方がないのかもしれないけれども、一律に保険診療否定する事は、メジャーによるマイナーの迫害と同じことをしていることになるため、メジャー医療の何を受け入れることができるのかということについて、落としどころを探っている事はあるのか

と言うことですね。いずれにしても私は健全なマイナーが存在し、メジャーと共存していると言う状況が健康な状況なのだと考えますし、もし患者さんがマイナーの選択肢を提案してくれたときには、その提案を基本的に歓迎したいというスタンスを持ちたいと考えています。

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