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有事に求められるのは優れたデザインである

 今回の有事は、全世界を巻き込んだ大変なものです。その大変な状況において、私たちは何をするべきかということについて各々考え、行動しているのだと思います。ただ、今私が記した「私たち」というのはいったい何を指しているのでしょうか?例えば「私たちアジアに住む人」と「私たち日本に住む人」と「私たち東京都に住む人」では「私たち」の意味合いが微妙に異なります。また、私は病院に勤務する医師ですが、その視点からも「私たち医療専門職」と「私たち病院勤務の医療専門職」と「私たち医師」との間にはすくなからずそこに込める「私たち」の意味は異なっています。だからこそ、一人称である「私」は、その「私」が多くの意味を持つ「私たち」に属しながら、それら様々な「私たち」における「私」にできることについて考えていく必要があるのだと思います。

 この中で最近強く感じていることは「デザインの不在」です。今、巷にも病院内にもたくさんの「コンセプト」と「オーダー」が発信されています。例えば、日本という地域他院での新型コロナウィルス感染症蔓延防止のコンセプトでとても重要なものとして「小規模‐大規模感染クラスタを作らないようにする」というものがあります。そして、そのコンセプトを実現させるためのオーダーとして「3蜜環境を避ける」というものがあります。東京都の立場であれば、それに「都民は都内から地方に移動しない」というオーダーが加わっています。以上のことで重要なことは「コンセプト」と「オーダー」につながりがきちんとあること、さらには「オーダー」を遂行する当事者が、その「オーダー」の背景となる「コンセプト」を理解していることだと思います。最近の「2蜜ならいいんじゃね?」的なツッコミは、「コンセプト」と「オーダー」が乖離した形で認識されることによって出てくる考え方なのかもしれません。

 私が気になっているのは、ある「コンセプト」を実現させていくうえで「オーダー」だけでは不十分であること、そこに「よくデザインされた構造」がついているということが大切であるということです。デザインとは、集団をあるカテゴリに分けることだったり、特定のデバイスを開発してそれを有効に利用することだったり、特例法案を作成することだったり、いろいろなことを指します。すなわち「人が個別にがんばる」以外に、構造的な工夫のカードを切ることです。
 
 散々こき下ろされている「アベノマスク」ですが、私はそれなりに良い効果を生んでいるのではないかと思っています。このカードは明らかに「デザイン」です。そのほか「テレワーク」や「オンライン診療」の早急な導入、「ZOOM会議」「デリバリー/テイクアウト飯」への変化はまさに今回必要とされている「コンセプト」を実現させるための様々な「デザイン」群にほかなりません。私は、このような「デザイン」がどんどん発案され、広く普及していく様に感動を覚えます。その感動は、むしろ一人一人の頑張りを見る時の感動よりもずっと大きなものです。

 しかしながら、「デザイン」はもっと頑張れると思っているのです。ひとつは、「デザイン」はもっともっと発展していってもよいと思っています。例えば「ZOOMで会う」という「デザイン」には無限の可能性があるように見えます。授業のスタイルは、遠隔授業によって一部さらに集中力が増しているかもしれないし、一人一人の意見をより吸い上げる力を持っている気がします。だとしたら、その部分にたいしてより魅力的な「デザイン」が提案され、普及されるともっと良いのかと思います。遠隔のデートによってのみ得られる性的快感なども「デザイン」可能な気がします。

 もう一つは、「デザイン」は「オーダー」よりもより創造的な活動であるため、「国全体」とか「自治体制度」のレベルにその工夫がとどまる傾向があるということです。すなわち、「デザイン」が求められる現場にその「デザイン」が届くまでの律速がはなはだしいこと、さらには、特定の現場に合わせた「デザイン」の柔軟性が小さくなる、という問題があります。私は私の半径5mにおいてその環境を改善するための「デザイン」こそがリアルな意味での「デザイン」だと思います。今回の新型コロナ感染症において、私が勤務する病院や、病院の周りに住む住民の人たちに対して利益になりそうな「デザイン」案はたくさんあります。入院患者さんはいつ重症化するかわからない恐怖や、隔離のストレスに日々悩んでいます。地域住民は、どうなったらどこにどんな相談ができるのか分からず困っています。発熱外来、あるいはコロナ感染症担当病棟の看護師や医師は、自らを危険にさらしながらもプロフェッショナリズムのギリギリの中で頑張っています。これらの「辛い状況」は単に「オーダー」と精神論的な「頑張って!」だけで乗り切らせるべきではありません。では、ここに何が必要なのかというと、それは「デザイン」です。

 隔離状態でもそこそこメンタルをやまないような環境を確保するデザイン、医療へのアクセスが制限されているとしても「いざという時には」というセーフティネットが確保されているためのデザイン、医療プロフェッショナルが、現状の半分の業務負担、半分の感染リスクを実現させるための医療提供環境を作り上げるデザイン、これらのデザインをそれ其れの現場において、それぞれの「私たち」に属する「私」が発案し、その発案を取り上げ、実際にデザインを実現化し、その現場で各々実装させるということに対して価値を置くようなコミュニティのあり方が今求められていると思います。私は、10人人が集まったらそこには必ず1人くらい優れた「デザイナー」がいると思っています。マネージャーはその「デザイナー」を大切にし、コミュニティが大切にする「コンセプト」を実現するために、「デザイン」と「オーダー」を両輪で回していくことが、個々の小さなコミュニティに求められることだと思います。

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