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トミカ合戦

息子(当時3歳)が川崎病で入院した。


柵で完全に覆われた子ども用のベッド。

外からカギをかけられ、出ることはできない。

点滴の自己抜去を予防するために、両手は指の先まで完全にギプスのようなもので覆われた状態になっている。


当時、コロナ禍ということもあり、面会できるのは1日に2時間だけ。同室には、同じ川崎病の子どもたちが6人いた。


ベッド内で遊ぶための好きなおもちゃは持ち込んでOK。


車に興味がある息子。トミカのおもちゃを集めていた。


お出かけのお供には、必ずお気に入りのトミカをもっていっていた。


毎日、2時間の面会時の差し入れは、当然トミカの車なのだが…


妻と相談して30台くらいネットで購入した。妻と私、かわりばんこに面会に行った。入院は2週間の予定だったから、毎日2個ずつ持っていこうと相談して決めた。


トミカのおもちゃに目を輝かせる息子。


持っていったトミカの車で一緒に遊ぶ。


「ぶいーん。ひゅ〜ん、どかーん」


「そろそろお時間ですのでご退出ください」と看護師さん。


2時間の面会が終わると、その日はお別れ。ぞろぞろと、親たちが病室を出る。


子どもたちの泣き声が病室に響き渡る。「ママー」「パパー」と大声で呼ぶ声がする。


病室を出ると親たちはエレベーターに乗る。みんな泣いている。




何回目かの面会の時。違和感を感じた。明らかにおもちゃの増え方が早いような気がする。息子の目が、『きょうは2個かぁ↘』と言っている。


家に着いて、トミカの在庫を確認した。明らかに予定よりも減っている。あと数日分しかない。


そぉ、妻が抜け駆けしたのだ。


「1日2個ずつって言ったじゃん」私は妻に文句を言った。


「だって、たくさん持っていってあげたくなっちゃったんだもん」と妻。悪びれる様子はない。


次の面会の日。私は残りのすべてのトミカを持っていってやった。


ざまあみろ。出し抜いてやったぜ。


と、思っていたら…。次の私の面会の日。


なんか、でかいトミカがある…。


トミカの車をいっぱい積めるトラックのトミカだ。


あいつ…。

大きさで勝負してきたようだ。


それならこちらは、トミカを走らせる道路を差し入れる。

「ぶいーん。ひゅ〜ん、どかーん」と遊ぶなら、道路の方が嬉しいはずだ。

勝った。


妻…。


私…。


妻…。


と続いていく。


無事に退院した。数年間の経過観察も良好だ。

ただ、今も、おもちゃ箱はトミカであふれている…。




息子が入院中。毎晩、今何してるのかなぁと考えていました。


入院していた病院には、看護師さんだけではなく、保育士さんも1名いました。


一人でたくさんの子どもをみるのは大変です。


オムツ替えもやらなければいけません。


せめて、「おはよう」だけでもいいから、声をかけてくれていると良いなぁ。


気にかけてくれる人がいるということが、家族にとっては何よりの安心材料になることを感じました。


日常で、何かのときには、『ちょっと気にかけてみる』ことを意識してみたいと思いました。


ちなみに、5人の子どもたちの中で唯一、7歳になった今でも「パパと寝たい」と言ってくれます。


トミカ合戦を制したのは私です。

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