この先、全く異なる発想で上演される演劇が、きっと出てくる【中野成樹/中野成樹+フランケンズ】
ナカフラの新作公演『Part of it all』の話題を中心に、演出家・中野成樹をお招きしたロングインタビュー・後編。今作を終えた後の「現在の関心ごと」や、中野さんの近況、そして、大学教員としての活動など、多岐にわたるお話を聞いています。前編の続きですので、ぜひ前編と合わせてお読みください。
▼今回の公演は「個人商店」として成立した▼
──この『Part of it all』上演を経て、ナカフラや中野さんが次に試してみたい景色は見えましたか?
中野 今は全く見えてないけれど、ただ、これをもう一回やる訳には行かないことも分かっています。「子どもたちがいるから公園は必須」みたいなことを考えつつ、一方で「演劇もやりたい」と考えた時、真逆の発想ですが、「暗転ができる場所を借りよう」とか、そういうことも考えたんです。暗転が効いたら演劇になるんじゃないか? それなら次は劇場だと。ただ、子どもたちがいられる劇場を借りなきゃいけないので、もし次にやるのであれば、劇場版、ですかね。
──宜しければ、現在の中野さんの演劇的興味・関心について知りたいです。それが次の活動に繋がるかもしれませんし。
中野 そうですねぇ……(熟考)。例えば、いま東京で一番面白い演劇は何なのか? と考えた時、その「面白い」という評価は誰がどう下すか? は難しいけれど、それを考えると、おそらく帝国劇場でやっている『レ・ミゼラブル』みたいなことになる……、なるはずなんです。それと比べて、東京で上演されている現代演劇や演劇フェスは、全体的に線が細いなぁという気がする。これはディスる意味では全くなく。結局……、何て言ったらいいのかなぁ。海外で活躍していたり、国際的な評価を得ている団体でも、今日の日本において、あまりにか弱い存在だと感じています。その「か弱さの原因」みたいなことに、すごく興味があります。
──大変興味深いです。これは僕の推論というか、暴論に近いのですが、仮に「か弱い」として、その背景のひとつには、その表現を支えている人は誰か?ということが論点に挙げられると思う。『レ・ミゼ』を支えているのは相当数のファンの人たちで、観たい人がたくさん集まるからロングラン公演ができるというシンプルな構造。そのこと自体が、様々な角度から作品を骨太にする要因になり得る。これに対する憧れが、僕は小劇場を後方支援する立場ですが、なんだかんだ言って、結構あります。もちろんこれが正論とか王道と言うつもりもなく、むしろ大事な論点・改善点だと思うのですが。
中野 それも、あるのかもしれませんね。サイズ感というか、演劇を支えて共に歩んでいる人の形がいびつなのだろうなぁ。今回のナカフラはキャパの関係でチケットを100枚も出せなかったんですよ。それが1時間ほどで売り切れて、本当に有り難かった。みんなで「俺たち、まだこんなチケットの売れ方するんだ」という話をしました。だから、全国的な知名度はないけれど、地元で圧倒的に人気のパン屋さんみたいな、そういう場所でパンを作ることが、今はそれほど嫌じゃなくなってきた。長島とは「個人商店」という言い方をしていて、買いに来る人の分だけお豆腐を作り続けているお豆腐屋さんとか。先ほど「満足感が高かった」と言ったのは、今回の公演が個人商店として成立した、みたいなことなのかも。創り手と観客、お互いが求める程度の支え合いは、きっとできるんじゃないかな。
──なるほど。個人商店・ナカフラ堂、みたいな。
中野 100人が絶賛して100人しか買えないパン屋さんが東京で一番美味しい店になろうと思ったら、物産展みたいな機会に参加するとか、そういうことだと思うんです。でもそこで「100人しか買えない店なんて意味なくね?」とか「お山の大将ですね」というコメントを浴びて、シュンと意気消沈しちゃう。それでも昔はそういう場所へ出て行かなきゃ! と思っていたけれど、今は、その辺は閉じていても十分太くなれる、ぶっといグルーヴが創れる、と思っています。昔は創れないと思っていたけど。
▼教員の魅力は「演劇に対してフラットな立場でいられる」こと▼
──僕はナカフラファンなので、自分の分のパンがあればいいという気持ちもありますが、この絶品パンを多くの人に食べて欲しい! という気持ちもあります。数年前から「自分は小劇場のプロモーション活動に力を入れたい」と思い始めたのも、おそらくそういうことかと。とても美味しいパンだから、何とか増産体制を整えてもらい、その代わり宣伝はお手伝いしますよ、という。でもそうすると、中野さんが仰った「個人商店でいい」というお話から、元の場所へ戻ってしまいますね……。
中野 いや、それをリラックスして待てる状態が、今なのかなぁ。そう考えると、昔は何であんなにカリカリしていたのだろう? 今回の公演を観た長島さんが面白いことを言っていて、「『動物園物語』にはピーターとジェリーがいて、以前の中野さんはどう考えてもジェリーだったのに、いつの間にかピーターになっていた。これはピーターになった中野さんのお話で、かつての中野さんが今の中野さんに会いに来る物語なんだ」と。そう考えるとすごく感慨深いです。そうなんだ、俺、ピーターサイドになったんだなー、ということも含めて。
──最後に、中野さんの近況、現在の話を聞かせて下さい。中野さんは日藝の先生でもありますが、大学教員のどういうところに魅力を感じていますか?
中野 どういうところだろうなぁ……。どういうところだろ?(笑)。
──舞台演出家として活動しながら、大学で専門知識を教える立場は、演劇人にとって憧れの職業のひとつだと思うんです。狭き門でもあるでしょうし。
中野 魅力とは離れた回答になっちゃうかもしれないけど、授業中によく言うのは「俺がナカフラでやっている演劇は一切教えない」ということ。ひどい言い方をすれば、君たちはまだ教える段階に達していない、ということでもあるし、一方で……、あっ! 魅力分かりました。「演劇に対してフラットな立場でいられる」こと。これは他所の大学の先生にありがちなことだけれど、大学の先生って、学生に自分のやっている演劇を教えちゃう。僕は中野成樹を教えずに、テネシー・ウィリアムズの読み方を教えているだけなんです。演劇に対してフラットな立場になれることが、自分にとって一番楽しいことかな。
──ここで言うテネシー・ウィリアムズは「演劇を学ぶ教科書のひとつ」という解釈で合ってます?
中野 はい、そうです。学生たちによく言うのは「僕はこういうやり方でやっているけれど、その反対の事例も実演で示します」という。僕の好みならこう仕上げるけれど、じゃあその逆もやってみよう。どちらが面白いかは、君たち自身が選ぶべきだ、と。学生たちからすると、フラットな状況に現実的な選択肢がいくつも混ざり、その中にナカフラも混ざっていて、それを現役の芸術監督が立ち合っている状態。
──素晴らしい! それはとても豊かな教育現場だと思います。学生さんが羨ましいなぁ。ちなみに、以前は大学生キャストの作品も上演されていましたが、今後はどうですか?
中野 そうだなぁ。積極的にはないけれど、やらない訳でもない。一緒にやりたいと思える学生が入ってきて、そこでコミュニケーションがとれるなら、カードが揃っている以上、出さない手はないですよね。
▼とにかく、既存の演劇と全く異なる演劇が出てくる▼
──演劇を学ぶ若い人たちと日常的に接していて、学生たちの姿から未来の演劇に感じる予感はありますか?
中野 今回のナカフラじゃないけれど、多分この先、全く異なる発想で上演される演劇が、きっと出てくる。それは、単なる劇場文化や舞台芸術とは異なる形で、みんなでバーベキューしようぜ、みたいな感じで「演劇しようぜ」と。この例えはわかんないですけど(笑)、とにかく、既存の演劇と全く異なる演劇が出てくる。でも、それにはまだ時間がかかると思います。簡単にいうと、小劇場から芸能界へブレイクスルーしていく、みたいなことが完全に消滅した時にしか起こり得ないと思うので。小劇場で役者をやっていて芸能界に入るという事例があるうちは、新しいものは生まれないでしょう。そういう人が徐々に減ってきて、それが完全に消滅した時に、演劇が本来持っているかっこよさに火が付くだろうから……あと15年くらいはかかるのかな?
──とても面白いです。それは希望だなぁ。時間はかかるけれど、種火はあるぞと。それを応援したり見守ったりしよう、ということですよね。
中野 うーん、種火があるかどうか分からないけれど、要はこれ、演劇を続けていくことの先の見えなさに絶望している学生を、あまりにたくさん見ているという意味でもあり。
──……なるほど。
中野 大学4年生になると「演劇は続けたいけれど、現実問題として厳しい」みたいな話が必ず出るんです。その時に演劇学科の先生として言えるのは「君は演劇を続けるべきだと思う」と、僕はそれしか言えない。だって演劇の先生だもの。ちゃんと言える生徒にはそう言って、そのうちの3人に1人は就職しても1年位で辞めて戻ってくるのですが、そういう学生が「芸能界で成功しないと演劇を続けられない」という図式じゃない形の演劇を、少しずつ少しずつ始めていくと思う。僕はそれを応援する立場であり、僕もまだ現役なので、それをリードする立場としても……。
──個人商店の実例を作り「個人商店でもやっていけるぜ」という道を示せれば、それがモデルケースのひとつになり得る。
中野 さっき園田さんが「教える立場は狭き門だ」と言ったけど、学生たちに対して「でも悪いな、俺は勝ち組だからよ」「勝った人間だからこそ言える、という事実はあると思う」ということを、自分から言わないといけない。学生から「じゃあ先生、大学を辞めてもう一度演劇でどうにかしてみたら?」と言われたら、「やだやだ、大学の収入がなかったら生活できないもん」という現実も包み隠さず話してあげることが、大切なのだと思います。
[構成・文]園田喬し