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茱萸、蟻地獄、飯盒

小学生の頃、夏休みになると母が仕事から帰ってくるまで、祖父母の家で過ごした。

祖父母の家は村の外れにあった。庭の外は隣村まで田んぼが広がっていた。庭に茱萸(グミ)の木があった。最近はあまり見ないけれど、その頃は、たいていの田舎の家の庭にはグミの木が植わっていた。木にのぼって赤い実をつまんで食べる。熟していると甘い。調子にのってバクバク食べていると、熟してないやつにあたって酸っぱかったり、渋かったりする。風が吹き抜けると、わさわさときらめきながら稲が波うつ。

グミの実に飽きると、蟻地獄をつかまえる。軒下の雨が吹き込まない砂地に、直径2センチほどの大きさの、すり鉢状の蟻地獄の巣が並ぶ。その辺を歩いている蟻をつかまえて巣に落とす、すり鉢の壁を蟻は必死で登ろうとするのだが、蟻地獄がすり鉢の底から、蟻の足下めがけて砂を飛ばす。足下の砂が崩れて蟻は底に向かってズリ落ちていく。巣の底では蟻地獄が大きな顎でアリをつかまえて砂の中に引きずり込む。蟻を何度が落として一部始終を眺める。それに飽きると今度は蟻地獄をつかまえる。両手で巣を包み込むようにして砂地に手を突っ込む。巣をまるごと掘り起こして、砂の中から蟻地獄を探しだす。つかまえた蟻を落ちていた飯盒の蓋に集める。蟻地獄はウスバカゲロウの幼虫。化け物じみた恐ろしい形の虫。

飯盒は、祖父が戦争に行ったときに使っていたものだった。祖父は第9師団の歩兵第七連隊の一員として、昭和14年の2月から6月まで武漢あたりに半年ほど出征していた。多分、そのときに使っていたであろう飯盒がごろんと庭に転がっていた。


昭和50年頃のお話。私が8歳、母が31歳、祖父が53歳だった。

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