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失われた時を求めて

「失われた時を求めて」全14巻をようやく読み終わった。読み始めてから結局足掛け2年かかった。

読み終わっての感想は、「面白かった。もう一度最初から丁寧に読み返してみたい。」である。

主人公である「私」は、フランスの貴族の一族。歩くのもやっとというくらいの年寄になって、自分のこれまでの人生を振り返る話だ。寝る時には枕元にお母さんに来てもらいキスをしてもらわないと不安で眠れなかった少年時代から、恋愛の遍歴、社交界での付き合い、年老いて世の中全てが変わってしまい、変化の経過を知っている自分と、知らない若い人たちとの違い、ギャップに戸惑っている現在まで、「私」が延々と語る物語だ。

この「私」が全然共感を呼ばない、どうしようもない奴なのだ。病気がちというのもあるのだが、何か仕事をするわけでもなく、どこぞの公爵夫人に憧れて、偶然を装って出会えるように、公爵夫人の朝の散歩コースで待ち伏せする。避暑地で少女たちの集団に興味を持ち、その中の一人を好きになる。その恋人が同性愛者ではないか、自分の知らないところで他の女性と会っているのではないかと疑い始めたら、嫉妬が止まらない。嫉妬の炎が燃え上がり、恋人を自宅に半分軟禁して、恋人の友達に行動の全てを監視、報告させる。知り合いの男爵も同性愛者で、彼が彼の恋人とイチャイチャしてる様子を隣の部屋から盗み聞きしたり。近所の幼い女の子を自宅に連れ込んでお話して、親に訴えられそうになったり。

貴族なんてそんなもんなんだろうが、とにかく何にもしないで社交界に出入りしてぐうたらしているだけの物語なのだ。7巻あたりで、延々と当時の社交界の話、誰それのサロンでこんなことがあったとか、こんな気の利いた会話をした人がいたとかが続き、退屈で読んでいるのに耐えられなくなって、もうやめようかと思ったのだが、なんとか少しずつ読み進めた。恋人の同性愛疑惑に嫉妬の炎を盛大にあげるあたりで面白くなった。

「私」がこれまでの人生を振り返り、一瞬のうちに積み重なった過去を思い出させて、幸せな気持ちに浸れる出来事。例えば、マドレーヌを紅茶に浸した瞬間にその香りが、母と過ごした少年の頃を思い出させる。そんな瞬間を小説で表現したいと決意する終盤になると、話に引き込まれた。

恋人との関係で、嫉妬に焼き尽くされるケースが何回も描かれている。最初それほど好きでもなく、仕方なく付き合っているくらいのところから、相手のことが気になり始めて、嫉妬が強くなればなるほど、好きな気持ちが昂ぶる。好きだから嫉妬するのか、思い通りにならなくて嫉妬するから好きだと錯覚してしまうのか、よくわからなくなる。そんな状況を丁寧に、しつこいくらい細かく描写する。自分の思い通りにならないと気になって、なんとかしようとして、さらに囚われてしまう。

この小説は1890年ごろから1920年ごろまでのフランスの世相を微に入り細に入り描く。移動手段が馬車だったことから、自動車が普及し始める。手紙で連絡していたのが、電話が主流になる。第一次世界大戦でパリが空襲を受け、男爵が恋人に経営させていた男娼館が爆撃される。印象派、キュビズムの台頭など。プルーストが見他であろう絵を掲載したり、建物の写真も載せたりと大変丁寧な注釈がついている。今回はいちいち注に目を通していると話の流れが途切れてわけわからなくなるので、ほとんど読み飛ばしたが、2回目はじっくりと読みながら、当時のパリの地図をたどりながら読んでみたい。

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