見出し画像

ほねをかくしに

一本の骨をかくしにゆく犬のうしろよりわれ枯草をゆく
- - - - - - 寺山修司

 すでにあたしに過去はない。だからこれは嘘の記憶だ。あんたはしっかり前だけを向きぼんやり光る道をゆく。いや、道がぼんやり光るのはあたしにとっての話で、あんたにとってはまた違っているだろう。あんたの足裏にやわらかい草の感触がある。あんたの腹を枯れた穂がくすぐる。枯れてかわいた背の高い草たちをかきわけ、踏み倒しながらあんたは進む。草たちは踏まれたその一瞬、においを強く放つ。あたしにはそれが全部わかる。
 全部だ。
 だから進む方向がわかる。あんたのあとを、ただ、ゆけばいい。それで道を光って感じる。
 感じる? 感じる、なんてことがあるんだろうか。あんたのしめった左手に握られて、あたしはかわいた一片の骨だ。恋人の骨を盗んだあんたは少しばかりか後悔している。進むことに躊躇している。だけど歩調を緩めない。歩きにくい黒いパンプスはしばらく右手に提げていたけど、草のあいだに捨ててしまった。帰るときに必要だともおもったのに。感情と身体とは離れている、夢を見ているときに近い。あたしはあんたの手のなかにいながら、同時にあんたの背中を見つめてもいる。そしてあんたに語りかけている。
 振り向くな、進め。
 あんたは振り向かない。
 ほんとうは。とあたしは語り続ける。無論、声は出ない。ほんとうはあんたの握っているのは骨なんかじゃない、たとえば一粒の向日葵の種、そうでなければカモメから抜け落ちた一枚の羽。だから安心して。こわくない。なんてね。枯れ草の道は岩だらけの山に続いている、あるいは真っ黒い海につながっている。あたしには知れない。あたしたち、その場所については話さなかった、そうでしょう。いや、これもちがう。嘘だ。骨のあたしには関係のないことだ。これはあの子の過去。あの子とあんたは、骨のかくし場所について話さなかった。ふたりでかくすことを決めたわけでもなかった。死後、骨をひとかけらでも盗むこと。あの子の命令はそれだけだった。あの子とあんたはおなじ墓に入れないから、みたいな、だいたいそういう理由で。だからあんたはこの左手の中身を、秘密の場所にかくしたりなんかせず、ずっと持っているべきだったのかもしれない。でもあんたは決めた。あの子の犬。臆病だけど強い犬。あんたは進む。あたしは知っている、あんたがあの子といるとき、いかに最強だったか。そしてあの子をうしなったあんたが、もう最強ではないことも。だから、いらない。あたしは最強ではないあんたを欲しがらない。進めと命令する。振り向くな、進め、かくしにゆけ。枯れ草の野を抜けてその先の地面に埋めろ。また会うのは、そうだな、百年後でかまわない。あんたは従順に進む。あたしはそれを見ている。踏まれてつよくにおう草。かわいた穂。あの子の、いまはあたしの犬。


- - - - -

2017年発行のBL短歌合同誌共有結晶別冊「萬解」に寄稿した短い小説です。
寺山の短歌から発想を得て書いたものです。