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石垣島と絵、ライブドローイングへの変化の過程。

自分の絵のスタイルはライブドローイングである。
描く土地土地で五感で得られるものを掬い取って、時に人と対話したり、一本の線を形にしていくのが好きだ。
流動的で制限がない、自由に描く。今しかないこの時間をどう落とし込むかを楽しむ。絵というのはもっとラフでもっと行儀悪く楽しめば良いと思う。
このスタイルに辿り着く前はミリペンで細密画を描いていた、只管に無心で描くと言う所では繋がっているのだが産み出すための養分が違った、昔はただ自分の鬱屈した部分を写していただけだった。それも自分なのだが今の自分はそこにはいない。
石垣島に来て今の久喜ようたが出来るまでを振り返ってみる。
前回書いた『新宿と音楽、ネオ・ヴィジュアル系ブームを駆ける。』にも絵の変化と姿勢について書きましたのでお時間あれば読んでみてください。

2020年、ハヤシさんと撮影中の絵日記

2020年2月6日から2月23日の絵日記、この写真は22日夜撮影

初めての石垣島長期滞在、2月6日から2月23日の18日間ハヤシヒロヤスさんに写真を撮ってもらう。
石垣島を東西南北、街の中森の中海の中時に血塗れ流され建物を飛び移り駆け巡りながら撮って頂いた、撮影が終わり夕ご飯と飲みがてら外に出て帰ってくるのは23時前後、ハヤシさんがその日撮った写真を選定してる間に絵日記を描いていた。
画用紙にシャープペンシルでラフを描いてミリペンで仕上げていく、一枚30〜50分くらいで描き上げる。
その日にあった事、波に攫われたり、レモンが酸っぱかったり、子供たちに引っ張られて泳げるようになったり、テトラポット、屋上を舞台にしたり、見た目だけの嘘じゃなく傷だらけになったり、サバニ船を眺めたり、アダムとイヴの林檎をブチ投げたり、祈ったり、名前も見た目も関係なくなったり、酒場で楽しく飲んだり、バンド「ザ・スターリン」好きの島の子に話しかけられたり、森に自給自足で住む家族を訪ねたり、大きな蝋燭の柱に火を灯したり、喪に服したり様々な日々の絵日記を描いた。
この日々がどうにもあやふやだった自分に影響を与えたのは確かだ、死んでやるよ上等だよと思っていたのにもう死ぬのが怖くなってしまった。
生きていれば簡単に死んでしまうのを目の当たりにしてしまったから。手の中で生きようとした命の火が燃え尽きた。無茶をするのは大好きだ、パフォーマンス的にも相手の心情に与えるインパクトも、そこに自己肯定感を上げる要素が存在しているのは良くないのだけど、誰かが楽しんでくれたら結構なんでもいい。
「美崎町」で1番高い地上8階建の「レオビル」の屋上のヘリに立つ、強い北風で落下しそうになる、うちはハヤシさんに「落ちても絶対写真撮ってくださいね!こんな事一度しか死ねないんで!」と笑顔で言う、その足は震えて指の先は冷たくなっていた、顔だけ作ってもバレている。
この時は石垣島は天国に近い場所だなと思っていた、原生林の残った綺麗な自然と純粋な子供たちとの触れ合いと島の人の優しさに、なんて純度の高いありのままの世界が残ってるんだろうと思った。

石垣島最終日、友達になった島人のイケちゃんから貰った「かみやーき小」のかまぼこおにぎり
登野城漁港の防波堤で海を眺めて食べた

「18番街」の「恋たこば」の提灯

「恋たこば」の提灯(撮影:林弘康)

ハヤシさんとの撮影後3度目の来島、ハヤシさんとの撮影中にもよく飲みに来ていたのが「18番街」にある「恋たこば」というたこ焼きの美味しい居酒屋さんだ。
旅人の友人が「お前提灯に絵描いたらええやん、コイさんにも話したらよぉ、描いてほしい言うてたで」と「恋たこば」の店主コイさんに交渉しに行った所「ええで!」と軽いノリで描かせて頂く事になった。
この提灯にはたこ焼きとお酒、世の中はまさに大コロナ時代に突入したのでアマビエ様や招き猫、逹磨、登り錦鯉と縁起を詰め込み、店主の好きな音楽のモチーフと沖縄の要素、珊瑚やミンサー柄をあしらって描かせて頂いた。
ミンサー柄とは琉球王朝の時代から沖縄に伝わる「ミンサー織り」の柄で「いつの世までも末永く幸せに」と言う意味があり女性から男性に想いを込めて贈ったものである、五つと四つの模様を繰り返しているのが特徴的だ。

左手は添えるだけ

この提灯は黒色のマッキーのみで描いた。
制作期間は7月11日から7月27日で提灯を天井から吊るして描くのに椅子を登ったり降りたり内側から提灯の柔らかい生地を左手で押さえながら試行錯誤して描いていた。
石垣島の夏は暑い、2020年7月の平均気温は30.3度、最高気温は34.0度だった。お店の開店前の時間に描かせて頂いてたので空調も効いてなく、暑さと汗との戦いだった。
日本では沖縄県にしかないハンバーガーチェーン「A&W」でスーパープーティンを買って昼過ぎに「恋たこば」に来る、ラフを描いたノートを見ながらどう進めていこうか考えながら食べる、うちは極度の偏食家なので毎日お昼にスーパープーティンを食べていた。
友達のイケちゃんに「ヨウタさん体壊しますよ?!」と言われたが「スーパープーティンちゃん!一緒に心中しよ!!」と夜もスーパープーティンを食べる生活へ傾いていった、是非沖縄に来た時には食べて欲しい。

狂い飯

夏バテしてコイさんに夏バテに効く漢方を貰ったり、スコールを眺めて煙草を吸ったり、開店前に常連のお客さんとお話ししながら1日1時間〜5時間に分けて描き上げた、お店が繁盛して欲しい祈りを盛り込んだ、南の果ての酒場の出会いは何があるかな、楽しい夜になってくれたらいいな。
この提灯は外で強い日差しと雨に耐えながら看板の役目を果たした、ボロボロになってしまいもう存在はしない。

曼荼羅キューピーNo.2「しんあい」

No.2 しんあいちゃん scribble, PVC, H39cm

石垣島に全長39cmのキューピー人形も持っていった。
最初に左腕にチュウダイズカアオバトを描いた、うちは鳩が「この世界の縮図」として好きなのだが石垣島にはアオバトというエメラルドグリーン色をした鳩が生息している。
街中では見た事がないのだが北の方を走っているとたまに木の枝の間に潜んでいる。だが数える程しか見たことがない、流れ星のような鳩だ。
次に前面腹部を描いた、「恋たこば」の提灯を組み直した、次に後面の背中を描いた、「この島では少女の涙も干上がってしまう」悪魔に振り回されて泣いてばっかの少女を見た、幸せは花火ではない。次に右脚を描いた、泡沫で埋め尽くされる海に飛び込んで遊んだキラキラした思い出、次に右腕を描いた、「BARうるべ」のバーカウンターに佇む蝋燭の柱と街角を優雅に歩く夜と同化した黒猫、最後に左脚に屋号を絵にした。

この曼荼羅キューピーは「しんあい」と名付けた、このキューピーには沢山の人との縁と愛情が詰まっている、キューピー人形アートを描き始めて3体目の作品だった。No.0はプロトタイプとして作ったのでNo.2は3体目になる。
この作品は売り切れました、ご購入有難う御座います。
石垣島の思いが沢山詰まった作品は今どのような景色を見ているのだろう。この年は知らない土地や人を開拓し縁を繋いでく期間だった。自分もそこにお邪魔させてもらう為に言葉や行動を積み上げる日々だった。

2021年、ライブドローイングを始めるきっかけ。

「カロライナの肉屋」で描いた鴉達磨

この年は1年の2分の1を石垣島で過ごしているのを自分のスマホのカメラロールを見て気付いた、東京での写真が数える程しかない。
石垣島で釣りをしたり、入院したり、ヤギを食べたり、友達の車で島を周ったり、黒島でゆっくりしたり、ギター弾いたり、ピザ屋の彼女になってみたり、赤黒い月蝕を見たり、生き物が産卵しに月夜の夜道を大群で横断してるのを車で轢かずジグザグ走行で帰ったり、水晶を取りに滝に行ったり、撲殺された豚のカレーを食べさせられたり、ハヤシさんと撮影をして島中を駆け回ったり、シュノーケルしたり、高熱の中海辺に我儘を言って記念撮影に行ったり、相変わらずピッピとドタバタ遊んで与那国へ行く船を見送ったり、鍾乳洞に行ったり、イケちゃんがうちのお誕生日会をサプライズで開いてくれたり、友達の家のお風呂を探しに行ったり、友達のライブに行ったり、クリスマスイブに竹富島にイカを釣りに行ってプルーム・テックを水没させ壊したり、充実した普段の生活を営んでいた。

「カロライナの肉屋」に飲みに行った時に暇ですねぇとオーナーのニクヤさんと話していると「暇なら絵でも描け!」とお店の中からノートとマッキーを持ってきてくれた、そこに落書きくらいの絵を描いた。「ちゃんと持って帰ってね」とニクヤさんは綺麗に切り取るとうちに持たせてくれた。
その絵をその時泊まっていた友達の家に持って帰ると「ヨウタその絵いいね、飾りたいから買わせてよ!」と友達に譲った。
4日後「BARうるべ」に飲みに行った時に絵を描いているお客さんと席が隣になる。「どんな絵を描いてるの?」と言われてお客さんから紙を貰い、常に携帯していた黒色のマッキーで絵を描いた。時間にして30分もかかってない筈だ。
「これ買うよ、大切にするよ」と千鳥足で帰って行かれた。

人の目を見て喋る癖と会話の花

対話しながら流れる空気を描き留める感覚を摘んでいた、自分の過去や内側を養分とするのではなく今を全部描き綴る感覚が気になった。
遠い位置にあるものをなぞる事の疑問が解れていくような感覚だった。
東京に戻り友達がやっている古着のお店「吊り橋ピュン」の一角を借りてライブドローイングのイベントをしたイベントタイトルは「今日生まれて今日死ぬ絵」。
石垣島で生活しなかったら生の感覚を追いたくなはならなかっただろう、気にも付かず過去をなぞり続けたんだろうな。生きてるから死ぬ、生きなきゃ死なない。そう思った年だった。今まで死に損なってきたのでちゃんと生きるって決めた。

2022年、「石垣島、夢を見る島の真裏で。」

4月23日「島ぬ人と映画を見る」

春4月、友達から「紙持ってきてないならあげるよ、好きなの持って帰っていいよ」と使いかけの画用紙のノートを貰った。
それを持って「カロライナの肉屋」へ行きオーナーのニクヤさんに「絵を描いていいですか?」と聞くと「好きに描け」と言って頂いた。
絵を描き終えたら、描いた絵を持ったうちの写真を撮ってもらう、うちはニクヤさんに聞く。「絵を買ってくれませんか?」ニクヤさんは即答で「いいよ、その代わり来たら毎日描け」とここで描いた絵を買取って頂くことになった。
4月19日から5月15日まで計20枚描いた、新川の友達のアパートで描いた絵と観音崎灯台の下の洞窟で描いた絵と友達へのお礼の絵を3枚足したものが社会評論社から詩画集として発売されている。
散文詩で絵を描いた時の状況や心情を綴った、これがライブドローイングで生きている絵を描く事の全ての始まりだった。

今では、ライブドローイングを始める前に煙草を一本吸ってる時間で「何を描こうかな」と考える時間があれば嬉しい。と思うのだがこの頃は違った。
最初の頃は、起きてお昼ご飯を食べ「カロライナの肉屋」に行くまでの5時間ずっと今日は何を描こうかなと考えていた。まだ頭でなぞっていたのだ。酷い時は前日から「明日は何を描こうかな」と考えていた。
「カロライナの肉屋」で2枚目の絵を描き終わった後ニクヤさんからアドバイスを貰った。でも何て言葉を貰ったのか忘れてしまったのだがその言葉を反映させたのが3枚目の「お前の未来にさもありな ん。」だ。
4枚目を描く前にピッピから聞いたのだが、「ヨウちゃんの良い所が全部死んだ!!」とアドバイスをするのは辞めようとニクヤさんと話したと爆笑しながら話をしてくれた。お〜い!いいけど〜。
是非良い所が全部死んで4枚目から自由に頭をかち割った絵も見てください、絵は人生なんですね。

ピッピ、ニクヤさん、ハヤシさんも出てくる石垣島での「撲殺した豚のカレー」事件を書いたエッセイも発売中です。

「109の煩悩」

お菓子を食べながら煙草を吸いながら雑談して絵も描きたい欲張り普段

石垣島から東京に帰ってきて何となくニクヤさんの言葉を思い出していた。
「絵は沢山揃ってる方がいい、数枚じゃ面白くないよね」そうなのかぁ毎日描いてみようかな、こうしてゴールも決めずに走り出したのが後の個展「109の煩悩」に繋がっていく。
1日1枚ライブドローイングをする、8月29日に始めたライブドローイングは12月25日までの109日間で133枚になった。
何で109日だったのかというと、石垣島でもうすぐ100日目を迎える所でニクヤさんに「いつまで描くんだ?」と聞かれた。「もうすぐ100日なんでそろそろ終わりです」と答える。「100日続けるなら煩悩の数108日やれ!お前を足して109日だ!」と言われて、「うち煩悩まみれですもんね」と納得した。
11月17日から12月13日までは石垣島で描いた、石垣島に居る時は1日2枚描くと決めたので109枚を越えた。石垣島でのもう1枚は石垣で出会った人や友達を一冊のスケッチブックに描いて纏っている。「109の煩悩石垣島編」と「石垣島、夢を見る島の真裏で。」の原画は「カロライナの肉屋」のオーナーが売り手を探しているので買取大歓迎のようです、興味のある方いましたら是非お声掛けください。

描き終わるとニクヤさんに撮ってもらう、穴から私

黒色一色のマッキーでライブドローイング」をしていたのだが石垣島に来た時に「色をつけてみようかな」と思い「タウンパルやまだ(山田書店)」で赤色と青色の水性マジックを買った、山田書店さんは石垣島のお土産物屋アーケード街「ユーグレナモール」にある本屋さんで、本もそうだが文房具の種類も豊富で伝統的な琉球柄の雑貨屋お洒落な雑貨のの品揃えも多く置いているうちの大好きな本屋さんだ。是非こちらも寄って頂きたい。
描き進めて水色と桃色の水性マジックを買い足した。人生に色がついてきた。
ピッピから「ヨウちゃんの奥行きのある絵が見たい」と言われた事があった、黒色1色だとレイヤーが1枚しか頭になかった、色を増やして前後を考えた時にレイヤーが増え奥行きが出来たように思う。

楽器とセッションしながらのボディペイント

ピッピにボディペイント、朝も近づくファミマの前で

ある日、ハヤシさんとピッピでBARに飲みに行った。そのBARは楽器の演奏出来るステージがあり、ドラムとギターアンプ等が置いてある、生演奏を聴きながらも飲める所だ。
ここのマスターはドラマーでその日はギタリストの方と練習しようと思ってたらしく、「ねーねーも一緒になんかセッションする?」と言われたので「ボディペインティングをしていいですか?」とピッピを勝手にキャンバスとして座らせギタリストの方とセッションさせて頂いた。
このお店は店内撮影禁止なのだがマスターが途中からハヤシさんに「にーにー!ここから撮りなよ!撮っていいよ!」と撮影を許可してくれた。
人の腕とかにワンポイントで描いてみる事はあったが、こうして初めてちゃんと今を誰かとセッションしボディペイントをやってみるのは初めての事だった。
音楽に合わせて形になる線と空気を引っ張る音で合わさって高揚していく感覚が堪らなかった。ドキドキした、楽しくて。
石垣島では学ぶ事ばかりである、それが転がりだす小さな光を見つける事がある。

2023年、「カロライナの肉屋」でのライブドローイング

どこ見てるかわからないうちと万華鏡を覗くハヤシさん、何かカオスで好き

9月24日から11月13日まで25枚を「カロライナの肉屋」でライブドローイングをした。
うちの絵の師匠はニクヤさんだ、勝手に言ってるだけなんだけど。
ニクヤさんも絵を描いていて、生きてきた経験と感性で描くニクヤさんの絵がうちは大好きだ。「カロライナの肉屋」に着いたら煙草を吸いながらニクヤさんや他のお客さんとお話をする、店の前を通るおねぇちゃんの事、視線、分析、絵の事、どーでもいい事を話すのが好きだ。端っこの端っこまでちゃんとその人の中身を見ている、そういう事が絵の描き方に現れるのを教えてくれる。
今回は全部使って絵を描いた、マジックインキを重ねたり、人の生き様だったり、実験の日々で。勝手に人の事を絵に描く、人生をどろぼうした。
ニクヤさんに「もうここで絵を描くのは最後だからな、いつかは他の所に行かなきゃいけないよ」と言われた、沢山学んで甘えさせて頂いた。
東京と石垣島を行ったり来たり、生活をしていても自分はここに定住している訳じゃないから、そんな絵描きはずっと同じ場所にはいれない。いつかは自分の足で歩き出さなきゃいけない、それには決めなきゃいけない。
歩き続ける事は生きる事そんなかっこよくはないけど、現実は天国という名の酷い地獄を見た、色々節目の多い日々だった。
ニクヤさん有難う御座いました。また勝手な事を書いてます。

「BARうるべ」の熊手

商売上等、アナーキーな熊手

うちがよく1人で行く飲み屋さんがある、それが新川にある「BARうるべ」だ。
マスターのキースさんはジャンベ叩きで、うちは良くキースさんのライブを観に行く、魂が震えるようなジャンベを叩くのを耳と身体全身で感じるのが好きだ。
いつものように自転車で乗り付ける「こんばんわ〜」と扉を開けると「お〜ヨウタか、元気かぁ」と薄暗い店内のカウンターの中から灰皿と殻付きのジーマミを出してくれる。
「ヨウタいつものでいいか?シークヮーサーあるぞ?」「やった〜それでお願いします、今日は甘めで」いつものというのは「ビタミンの多いやつ」である、うちはお酒が一切飲めなくヘビースモーカーなのでニコチンで壊れたビタミンを補う為「ビタミンの多いやつ」を常に欲している。
飲み物を待ってるとカウンターの奥の角に熊手が飾ってあった。
「キースさん、石垣にも熊手文化あるんですか?」「分からんさぁ、桃林寺で買ったんだよ」と出来上がった飲み物を目の前に置いてくれた。
「これ改造していいですか?」と言うと「ヨウタの好きにしていいよ、やっちゃえよ」とオリオンの紙袋に入れて持って帰らせてくれた。
そして好きに魔改造させて頂いた。キューピー人形や紙粘土や針金を使って好きに盛った為重さが10倍くらいになった、友達のイケちゃんに「縁起良くしたいから強いプロレスカードくれないか!」と行ったら「これ強いですよ!是非!」と藤波辰爾のプロレスカードをくれた。石垣の要素も入れつつ圧倒的縁起量で出来上がり納品した。ここからポスカを絵を描く事に取り入れた。
キースさんは「熊手は正月に取り替えるからさ、後1ヶ月だよ、ヨウタにプレッシャー与えてみた、なんてなぁ」と言われた、是非、今年も任せてください。

石垣島と絵、変化する事生きる事。

石垣島から帰ってきて個展中に描いた絵

絵を描く事は自分にとっての最後の拠り所だった、幼稚園の時からずっと1人でいる感覚の自分を支えてくれたものだった。自分の内面をなぞって慰める、それを毎日毎日自分の家の机の下で繰り返した。
石垣島に来て変化したのは、命の脆さや、人の内面をちゃんと見つめて話す事。島全体が遠い遠い血の中で繋がる家族のような人たちと生活したのが絵に表れているのだと思う。優しさとかその中にも理不尽さがあって変わりやすい天候とか、風の匂いや雲を見て雨が降るのを読むとか、ヘリコプターの音とかリーフにぶつかる波の音とかを生活する中の一つの教えにして、誰かと助け合って生きていく。
見た事のない自然豊かな所も、知らない文化も理解したいと思い聞いて、話してくれた事、繋がり、楽しんで生きる事、そこに本来の自分の性格である「面白い事は全部やる今やる精神」が暴投して走り出すような、言葉にすると綺麗になってしまうのだけど、もっと人間で。それが絵に出てきたように思う。
石垣島は普段気付かない大切な事を教えてくれる。そこに恩返しもしていきたい年頃になった。貰ったものは返さないと辻褄が合わなくなるってピッピが言っていた。
2024年、今年の石垣島と絵はもう始めているので、日の目を見られるように行動していきます。ピッピと約束したんす、千日生きるって。沢山生きて、沢山絵を描いて、ちゃんと死ぬ日が来るまで描き続けます、宜しくお願い致します。
現在進行形で進化しているライブドローイングを是非見てください。

「カロライナの肉屋」にて。(撮影:林弘康)

「千日って何日後?」
「そうねぇ、三年後ないくらいでいいんじゃないかしら?」
「おっけ〜」
「死ぬなよ〜」
北風の吹き荒れる、夜中の万世館通りを歩きながらの約束を思い出しながら。

久喜ようた


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