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石垣島、半死半生のビルと無関心

かいです。
今回は石垣最終日、ついに石垣での撮影の話。

2023年11月6日。
石垣島での最終滞在日。滞在期間は3日。ようたさんの撮影で訪れたはずなのだけど、石垣島には美味しいものも美しいものもたくさんあって、それらを享受していたらあっという間に2日が過ぎていた。最終日にあせって宿題を終わらせる小学生の夏休みと同じ心理で、撮影の準備をした。

上の記事と地続きです。


唐人の墓

10時ごろ起床。ようたさんはまだ起きない。起きるまでの間に、昨日星を見に訪れた「唐人の墓」の昼間の姿を見たい。急いで支度して原付を飛ばす。運転ももう慣れたものだ。立地もなんとなくわかってきた。

「唐人の墓」とは文字通り、中国人の墓だ。中国からアメリカに向かう商船の中で奴隷の中国人が扱いに耐えかねてアメリカ人船長を撲殺したため、石垣島に寄港、中国人船員はその場で取り残され、その後石垣島に来たアメリカ人によって捕虜とされ、殺害された凄惨な事件に由来して建てられた。見た目も中国式の墓。
碑文には、死んだ米軍中将、兵曹3名の名とともに、「この碑が日本の平和、友好の発展に寄与し、かつ人間として持つべき平和を希求する心と、決して戦争があってはならないという固い誓いを後世に正しく伝え、世界の恒久平和の実現に寄与することを祈る。」としたしたためてあって、当時のアメリカのおもたさ、中国の圧倒的下位を感じて沈んでしまった。

唐人の墓はピンクとモスグリーンと龍という笑っちゃうほど派手なナリで真っ青な空に向かってまっすぐ建っていた。隣が工事中だからかシーサーから先に入り近づいて見ることはできなかったけど、墓石にはかの事件で亡くなった中国人の名前が彫られているのだろう。
石垣島は、戦争による政治的・国際的な軋轢が本州に比して大きい。それは、中国、アメリカとの物理的距離が近いことも、文化的距離が近いことも大きく関わっているのだろう。

独立国家として琉球があった頃、石垣島は各国とどんなふうに関係性を積み上げてきたのだろう。なんか友人関係みたいだ。肩書によって、所属によって。
「人間が人間を差別し憎悪と殺戮がくりかえされることのない人類社会の平和を希いこの地に眠る異国の人々の霊に敬虔な祈りを捧げる」
という琉球政府からの碑文が、端っこにあった。

ようたさんに勧めてもらった八重山そばを食べながら、三大欲求はだれかの嘘だと思った。3つ列挙するなら、食欲、睡眠欲、支配欲が妥当だと、戦争の歴史を見ればすぐにわかる。いやだな、綺麗な海やまだ見ぬスナックパインのことだけ考えていたい。支配、いやだ。

適当な人

ようたさんから「おはよ〜」のLINEが来る。ようたさんのねぐらはここからほど近くの友人の家なのだという。ようたさんのお化粧のため、わたしもお邪魔することになっていた。

ようたさんが出迎えてくれた家は、みなさん想像に難くない「男性一人暮らし」の一室で、その中にポツンポツンとようたさんの持ち物が散らばっているのが不思議だった。
「前回の化粧、どんなでしたかね」
「今回は左右反転にしますかね、新宿の時と」
ノリで化粧を進めていく。石垣はなんか、ゆっくりと揺蕩うことを肯定してくれる、というか、有り体に言えば、時間に縛られて焦っている人間なんであんなに必死なんだろうね、オモロい、みたいな空気がある。
都会にない、いい意味での「適当さ」があって、それがこの地の魅力、許容性、身のこなしだ。わたしもここにいる間だけは真似してみたい。諦めの観念。

化粧を済ませて最初に向かったのは、近くの雑木林だ。といっても、先の記事で紹介した「タビビトノキ」が鬱蒼と茂る川沿いの一帯で、「青木ヶ原樹海」みたいなじめっとした雑木林ではない。

夏特有のコントラスト強めの景色だ。写真は、白い衣装もようたさんの顔までも、白飛びした。
枯れたタビビトノキが大きな額縁を作っている。こういう偶然に、マジで神様って自然の中にある存在だ〜と思う。ようたさんは、背の高いタビビトノキをかき分けて青い種子を探している。

色香の跡

次なる撮影地に向かう前に、3日間の相棒、赤い原付を主の元にお返しした。雨があまり降らなかったことも、ようたさんがいたことも、原付童貞卒業をよきものにしてくれた。謝謝茄子。

住宅街で撮影を再開する。至るところにトロピカル極彩色の花が咲いている。真夏のような暑さ、もう11月なのに。どこで撮っても高コントラストだけどあえて調整はしない。これも神の仕業だ、石垣の諦めの観念を踏襲したい。

石垣島中心商店街、ユーグレナモールへ。ここは日本最南端のアーケード商店街だという。ところどころほころびのある屋根。お土産屋さんの電光掲示板もやる気がないがそこがまた良い。

美咲町へ。ここは1日目2日目のディナーでお世話になった18番街よりも色香が強い。営業してるのかしてないのか微妙なスナックが軒を連ねるビルを端から登っては、バシャバシャとシャッターを切る。外階段は人通りが数ないのか、無数のチャバネゴキブリの死体を見て卒倒しそうになる。四十九日が済んでないところすいませんね、お邪魔します。

割れた鏡、裂けたソファー、座面をなくした椅子。塗装のはげた看板。半死半生のビルを、ビルの谷間を飛び回る。ビルの谷間の、猫の通り道を通ろうとして上から落ちてきた謎水で被弾する。

座面のない椅子
修正
ビルの起源

上下水整備は石垣島の興業のおこりとともに整備されたものであるらしく、じめっとしたビルの裏側で、もう限界、と音をあげていた。腐臭がしている。排水管を取り替えようにも大変だろう。この色街も、もう先は長くないと悟る。

どこだったかもう忘れてしまったが、スナック階の上にマンションを持つ大きめのビルがあった。真ん中は吹き抜けで、ぐるっと囲むように一室一室のドアがある。居住区は5階分。同じような建物を、映画「スワロウテイル」でみたことがある。あれは、香港だった。香港の文化ともリンクしてるのかもしれない。
ヒビの入った鉄筋コンクリートと興業の遺産を足場に生活する人々の姿は、本州の景色より台湾や香港の方が近い。

この色街をなくしたくないけど、再開発の末でっかいイオンになるのはもっといやだ。

生活と猫

こじんまりしたスナックのビルの階段脇で猫が寝ていた。起こさないように忍び足で近寄って撮影する。気配を感じて一瞬起きたけど、装いのおかしな二人の人間を一瞥し、まあどうでもええかみたいな感じで逃げもせずまたコンクリートに寝そべっててウケた。ひんやり気持ちいいね、石垣の人は石垣の人だし石垣の猫は石垣の猫だ。

3度目の18番街へ。
歓楽街の昼間に足音が少ないのは全国共通だ。螺旋階段の柵の隙間からようたさんが両足を投げ出す、それを見上げる。18番街は、美咲町と比べて大きな建物はない。昼の姿を見て、そこにある店々は太陽に一律に灼かれ、同じ明度、彩度に均されていたことに気づく。一体感のある島の風景。

ある窓に、プラナカンのテキスタイルを見つける。ある窓に、車工場のカレンダーを見つける。またある窓にお札を、ゴミ袋を、物干し竿にミニーちゃんを。

バッテリ切れの気配が出て、最後に選んだ撮影場所は、2畳くらいのコンクリート敷き、雑草の生い茂る一角だった。ちんまい花と、大量のひっつき虫の群生。寝転がってあまりにひっつき虫に引っ付かれた姿にゲラゲラ笑う。

石垣の器

わたしのねぐら付近もどってへとへとで地べた休憩していたら、おばあちゃんが近づいてくる。「大丈夫!?怪我してるの?」
どうやらようたさんのところどころ白い、ところどころ赤い顔を見て、大怪我だ!と思ったらしい。「救急車を呼ぼうかと思ったよ」と言われた。あぶない。

おばあちゃんもコンクリ地べたに座って井戸端会議だ。ようたさんの入れ墨を見て「あんた足に落書きしてるの」と言い、私に「早く結婚するのよ」というおばあちゃんは、本州のそれより無邪気。そういえば、1日目のスナックのおばあちゃんもこんな感じで遠慮も探りもなかった。

おばあちゃんは話をする。結婚した時のこと、主人が帰ってこなかった朝、ビール瓶持ってスナックに突撃した時のこと。パイロットになって良くしてくれる息子と、スマートな振る舞いの上司のこと。
苦しかった若い頃があって、今主人と二人とてもしあわせなこと。

今、しあわせ!って手放しで言えるの素敵でこっちまで嬉しくなる。社内でこだわる言葉の選択とか、人間関係とか、ちっぽけでしょうもないな、わたしももっと自分がしあわせと思えるものに対して時間を使って手間をかけて生きたいと思う。
今、わたしは資格を取ろうとあくせく勉強してるんだけど、謙遜されたらめんどくさいので、努力をしてきたであろう人にしか勉強の話はできない。かしこい同期にこの話をした時、人選んでるくせに、話してたら恥ずかしくなってきて、「めっちゃ頑張ってます自慢したごめん」みたいなこと言ったら、「人が頑張ってる話、努力した話を聞くのは楽しいから、もっと色々聞かせてね」と言ってくれた。
わたしもわたしが認める人が頑張った話、めちゃくちゃ聞きたい。からやっぱりしあわせになって、話し相手に選ばれたい。おばあちゃんはこれを全人類に対してやって、しあわせ物質の源泉になってるから、すごい器だ。足元にも及ばない。

小一時間話したハピネスおばあちゃんと別れ、荷物を引きずってユーグレナモールに戻る。もう帰りの飛行機の時間が近づいてきている。最後に立ち寄ったのは、ようたさんがライブドローイングの拠点にしている「カロライナの肉屋」へ。3日ぶりのコーヒー、つめたくておいしい最高。
ようたさんの友達がやってきて、「ようちゃん、顔イケてるじゃん〜」みたいなことを言って、写真撮って、去っていく。でしょ、可愛いでしょ。

旅人の木

ようたさんと別れる。撮った写真を見返してたらあっという間に成田だ。終電近いスカイライナーを予約しており帰着即焦っていた。石垣が教えてくれた身のこなしはどこかへ行った。
荷物がなかなか流れてこない。あと5分でスカイライナーが行ってしまう。ヤキモキしてたら隣の青年が話しかけてくる。なんと、1日目のスナックで会ったカップルの片割れだという。覚えててくれたのが嬉しくてどこ行っただのどこから来ただの色々話したかったけど、流れてきた荷物をピックアップし、まだ来ぬ青年の荷物を待たず、「じゃあね!また石垣島で会おうね」と別れる。また石垣で会えるでしょう。

階段を駆け降りて京急ホームへ。近年ないくらい走ったので血の味がしている。車内で明日のスケジュールを確認すると、朝から会議だった。
あっという間に新宿のホームへ。もうすぐそこに日常がある。寝起きで、うわー帰りたくないと思う。次はせめて3泊4日ほしい。叶うならもっと。目の前で駅員のおばちゃんにあしらわれているカタコトの女の子がいた。「どうしたの?」と話しかける。ロッカーが見つからないそうだ。
ロッカーは新南口だった。説明がむずかしいので、女の子を連れて新南口へ向かう。道中、どこからきたの?と聞くと、台湾だという。適当な話をして、新南口に着く。

帰り際に女の子は、「助けてくれてありがとう!日本大好き。お姉さんも好き!」と言ってめっちゃハグしてきて、陽〜〜〜〜!!と思った。人ん家の匂いがした。狼狽しながら、「新宿キモい人多いからホテルまで送ろうか?」というと、「大丈夫!友達もいるから」とのことだった。よかった。台湾でも人に助けてもらったことを思い出して、借りを返したと思った。

これにて、石垣譚が終幕。
新宿・石垣2拠点で撮ったようたさんの写真は、ようたさんの絵と共にデジタル写真集の形で世に出します。諸般の事情があって、4月を目標に出すつもりです。いい人もキモい人もみんな買ってね〜

またね〜




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