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あの夏の読書感想文をもう一度

これは小学生の頃の記憶だ。

夏休みも間近になるとおたよりで夏休みの課題図書の案内が来る。自分の学年で読めそうな本はどれか考えて3日、重い腰をあげて図書室に赴くと目当ての本はもう借りられていてない。
当たり前の話だ。皆考えることは同じ、読みやすい本から借りられていく。

私は目当ての本が欠けた推薦図書の貸し出し棚を穴が開くほど見つめていた。

夏休みの貸出期間延長システムを使ったところで推薦図書は1人1限だ。つまり夏休みに借りられる推薦図書は一冊のみ。
じゃあこの中に私が感想文を書けると1ミリでも思える本はあるのか?
ない。元から教育的に正しい情熱やら正しい感動やら、そんなものには興味などない。水面を指でつーっとなぞったかのような「よかったですね」という感想が手一杯。本の中で起きた事象のどれひとつにも、そして誰にも共感なんかできなかった。

そう、その中でこの夏を共に過ごす本を選ばなければならない。棚を見つめれば見つめるほど、毎年「よかったですね」以上の言葉を探せず原稿用紙を埋められないで苦しんでいたことを思い出してしまう。息が詰まってくる。それでも、選ぶことも逃げることもできずに私はただ立ち止まっていた。


どうしてそんな話をしたかってこの前そういう事態に遭遇したからだ。
友人から、「この本を読んで感想を知りたい」と言われて渡された小説に同じ感想を抱いたからだった。
すなわち先ほどの『水面を指でつーっとなぞったかのような「よかったですね」という感想』だ。

どうしよう、大人になるまでそれなりにたくさん本を読んで、大学で好みじゃない論文だってたくさん読んでレポートだって書いたのに。仕事だってよくわからない文章に遭遇することは多いが読むのに苦痛は無くなってきた。なのにそれでも何も書けないなんて!

でも私はもうあの時の子供じゃない…そう…感想文にだってテンプレートがあることを知っている…!

読書感想文を型にはめて書くなら最初から順番に、書こうとした理由、あらすじ、印象に残った部分、感想になる。これで稼いでいけばいい。
あとTwitterをやりすぎているなら140字ごとの塊を作って8ツイートくらいすると、もうなぜか1,000字を超えているので良い。これは本当におすすめだ。

これに当てはめてすごく…言うなれば棒読みの感想文ができた。
この話を読んだ人ならここに心動かされるんだろうなあという部分に焦点を当てて、型にはめた読書感想文を書き上げた。
正直にいえばやっぱり読みづらかったし、どの登場人物にもどの出来事にも感情移入はできなかった。ついでに筆者の漢字の使い方が気になってしまった。
それでもいい。1,000字も書いたならもう天才と言うしかない。もうそれ以上の感想なんか見つからない。

私はかつてない冷や汗をかきながらその感想文を送った。これでいいのだ。この多様性社会に必要なのはきっと読めもしない文章だとかいう批判ではなく、全てを肯定する力なのだから。

…感想文を送ったあと、友人から「本当にそう思ってる?」と返ってきたので結局思いっきり本来の感想をぶちまけてしまった。

「賞賛も批判も傷つけずに正しくできればそれは感想なんだよ」
感想がいつまでも書けない私に親が優しくかけてくれた言葉を、ようやく思い出した夏の日だった。

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