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『手だけで生きていけるよ』



『手だけで生きていけるよ』

何気なくわたしが言った言葉にときめいたという公認美生氣功セラピスト黒岩いずみさん。

人生の後半は人を癒し癒される生き方をしていきたい

彼女はそう言って今は美生氣功公認セラピストでありインストラクターとして活躍しています。

以下いずみさんより、元気になったお母様との歩を文章にして下さいました。↓↓↓

『航空業界に憧れて入社し、毎日様々な事が起こり、様々な事を経験させていただいたOL時代は
宝物のようなワクワクの28年間でした。

そんな私が退職を決めたのは、第一にまず要介護3で一人暮らしをしている実母の事がありました。

母は55歳の時にリウマチを発症し現在は77歳。

2016年頃から台所に立つことも出来なくなり同居の父が料理を作るようになりました。
そんな父も8年の癌の闘病の末2017年に他界。

それからは毎日1時間ヘルパーさんに来て頂いたり、デイサービスを利用する等して、ひとりで暮らすようになりました。

3年ほど前までは持病のリウマチによる骨の変形と全身の痛み。
薬の副作用による骨粗鬆症での度々の骨折が絶える事はありませんでした。

全身麻酔での手術は10回。救急車での搬送、入院等も数え切れません。

医師からは母の骨は卵の殻レベルの脆さだと言われました。

5分座っているだけで下半身が痺れてしまうので一日中ほぼ寝たきりの生活。

病院へは車のシートを倒して、そこに布団を敷いて連れて行く。

家の中での移動には歩行器が手放せず、入浴はデイサービスでの機械浴。 

かがむことも難しいし、転倒してしまったら自力ではなかなか立ち上がれませんでした。

本来は明るく我慢強い母ですが、先の見えない苦しみに「死にたい」と口にしたことも一度や二度ではありません。

特に冬になると痛みが強くなる為、毎年、季節性鬱になっていました。

職場はいつも最大限に理解・協力して下さり、度重なる突発休などにも快く応じていただいていました。

しかし、シフト勤務では十分にサポートできない事も多く、退職を考える最初のきっかけとなりました。

退職を意識した時に、今後の自分の人生について改めて考えさせられました。

管理職研修に参加した際にも『世の中の役に立ちたい』と自然と湧き上がってきた強い感情がありました。

しかし、会社組織を離れても私が世の中の役に立てることはあるのだろうかと考えていた時に氣功を使って人を癒せる美生氣功と氣功哲学に出会いました。

氣功哲学はこれこそ私が学びたかった事だと魂が震えました。

見よう見まねで覚えた美生氣功の自律神経のバランスを整えるミラクル8メソッドを、さっそく当時入院していた母に病院のベッドのヘッドボードを外してやってみました。

「とっても気持ちいい」と喜んでくれたので、お見舞いや帰省のたびに施術を続けました。

次第に私の腕も上がっていき、同時に母も「あ、今、足まで流れたわ!」と、氣の流れが分かるようになってきました。

そうして、少しずつ少しずつ母の身体は回復していきました。

美生氣功のヒーリングを始めてから一年半が過ぎた6月。

斜面を杖も使わずに昇り降りして、しゃがんで大好きな山菜取りを楽しむ母がいました。

『手だけで生きていけるよ』
不意にみどり先生が放った言葉にときめき、振り払っても振り払っても、それをやってみたいと言う衝動に駆られました。

人生の後半は人を癒し癒される生き方をしていきたい。

両親のように病気で苦しんでいる人が一日でも多く笑顔になれる日を作りたい。

何が起こるか分からない時代だからこそ、不安に振り回されない『心明軸』を持って
今日を明るく逞しく生きる女性を応援・育成していきたい。

いつしか強くそう考えるようになっていた矢先にタイミングよく起業を学べる機会に恵まれ、人生の不思議な導きを感じました。

家族も理解してくれて、2020年7月に会社を退職し、8月8日にセラピストとして船出をしました。

人生は何が起こるか予測は不能です。

何と母も2021年4月に美生氣功を学び始めました。

それまでは隠しがちだったリウマチで曲がった手も、いつしか合掌ができるように変わってきました。

未来は誰かが作ってくれるものではなく、流されるものでもなく、一瞬一瞬の今を生きる自分の先にある。

母の指はそれを指し示してくれています。』

2022年4月24日
公認美生氣功セラピスト
公認スタンダードコースインストラクター黒岩いずみ
母美生氣功セラピスト佐藤和子

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