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はじめに ー食とは文化的なー

ビジネスでもプライベイトでもどこかに行く際は事前にあれこれ調べますし、今はネットや口コミ、評判がどんなものにも溢れるように出てくるので、上位のものを選んで、と「なりやすい」けれど、個々の選好がこれだけ分かれてきますと、求めるものがそもそも違ってきます。コスパばかりではないときもあり、贅沢の意味も違います。ただ、衣食住に割く時間と、その衣食住が自身のままならぬことも多く、「いいホテルだったけれど、他になかったかな。」「美味しいお店だったし、有名店だけあったけれど、他になかったかな。」、その他に思いを巡らせてしまうことはないでしょうか。

自分は食べるものや食べる処にこだわるのは健康志向の下でもありますが、これで1食か、が続く日々より、この1食でスイッチが変わる、みたいなことがよくあるからです。料理好きの人が近くに居たり、世界に行く機会があるかないかだけで、それはまたグンと食と、食を通じた文化に造詣が深まります。和食(WASHOKU)が全世界に於いても注目されているのは、やはり曖昧で妙趣なところでは、と思いますし、出汁(DASHI)を通じた黒や白ではない淡さに美を見つけている人たちが多いのかもしれません。空気、水、湿度、少しの問題で、食材は変わり、調理法は変わり、世界中で共通の食はそれでいて、そこでしか食べられないものも枚挙にいとまがありません。このnoteでは食と文化、といいますか、そういったものを考え続けてきた「別な道」を紹介していけたらと思っています。大層ですが、味のある食事処や、そこから見える風景、更には、そこから離れて見えてくる消えてゆくかもしれない風情なども綴れましたら、と。

アレルギーや宗教的な問題や習慣で以前は食べられなかったものが料理法次第で、または空気や水、体質、加齢、諸条件で変わりゆく今ですし、カレーは世界食ですが、ラーメンのように、本当に色んな種類があります。シンプルなカレーで思い浮かべるものや辛さや中身の違いもあるでしょうし。

食が文化を作ると思いますか、文化が食を育てると、となりますと、きっと今は前者な気がします。食を選択してゆく行動そのものがとても文化的になってしまわざるを得ない時代で、だから、何でも選んでいいよ、っていうのは何も選べないから、フードコートの色移りを気にするのもビュッフェ、自分の好きなものも苦手なものもある食べ放題が隆盛し、アートの発想で、おにぎりがおにぎりですらないなどの展開が、グローバリゼーションとリンクしながら、「本当の」和食はどこに?なんて議論は食材の限定条件と有用性とともに、それをどう捌いて、どう消費するかの一連のプロセスを解析しないと、出てこないものだという気がします。高いから美味しい、美味しいから健康にいい訳ではないのはもう頭では分かっていたとしましても、胃袋の反応はそこまで理論ではなかったりしますから。飢えが目の前にあるときの食い意地が汚いのと食べることに価値を異様に高くするのと違うのと高級食とジャンク・フードの食べ過ぎ、貧困と肥満がどうなどの問題の前の「作法」として徒然に。食とは文化的な、であることの視界の転回にささやかな寄与をという願いを。はじめに。#食文化 #和食 #WASHOKU #出汁 #DASHI #FOODTHERAPY

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