ウェルギリウスの裂け目から

師レオン・サリラによる「テウルギアのタロット」を通して、永遠に生きて働く知恵を学ぶ小さ…

ウェルギリウスの裂け目から

師レオン・サリラによる「テウルギアのタロット」を通して、永遠に生きて働く知恵を学ぶ小さき者です。 このnoteの記事は学びの探索の記録で、正しいかどうかより探索を重視しています。 宗教・カルト・スピリチュアル等いずれにも属しません。

最近の記事

† イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。 イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。」 主のご復活おめでとうございます!

    • 日比谷公園、かもめの広場に行ってきました。 2002年の今日、ひとりの男性がパレスチナのために自決を遂げられました。 彼の死にざまは私に突きつけてきてやまない。 彼を取り巻く背景ではなく、微塵も衝動的でない生きざまそれ自体の意志に至るほどの純粋さが、私に自問させ続けるのです。

      • 自分は長雨が苦手ぽいです。 今日は意識的に雨の中にい続けることを試みました。 ビシャビシャと撥ねる音はやまない。夜には鬱々としたものがあるのに気づく。それも一緒くたでなおいようとすると、固い気分が立ちこめる。 いようとしたからでは? 雨から離れず一部でいることは叶いませんでした。

        • 願わくは汝らの心とこしえに生きんことを 地のはては皆おもい起こしてヤハウェに帰り もろもろの民の族はみな あなたのみ前󠄃に平伏すでしょう 地に眠る人々もただ主のみを伏し拝み 塵にくだるものも 皆そのみ前にひざまずくでしょう † 天の大きな慰めと支えがありますことを信じます。

        † イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。 イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。」 主のご復活おめでとうございます!

        • 日比谷公園、かもめの広場に行ってきました。 2002年の今日、ひとりの男性がパレスチナのために自決を遂げられました。 彼の死にざまは私に突きつけてきてやまない。 彼を取り巻く背景ではなく、微塵も衝動的でない生きざまそれ自体の意志に至るほどの純粋さが、私に自問させ続けるのです。

        • 自分は長雨が苦手ぽいです。 今日は意識的に雨の中にい続けることを試みました。 ビシャビシャと撥ねる音はやまない。夜には鬱々としたものがあるのに気づく。それも一緒くたでなおいようとすると、固い気分が立ちこめる。 いようとしたからでは? 雨から離れず一部でいることは叶いませんでした。

        • 願わくは汝らの心とこしえに生きんことを 地のはては皆おもい起こしてヤハウェに帰り もろもろの民の族はみな あなたのみ前󠄃に平伏すでしょう 地に眠る人々もただ主のみを伏し拝み 塵にくだるものも 皆そのみ前にひざまずくでしょう † 天の大きな慰めと支えがありますことを信じます。

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        • 好き嫌いについての思索
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          『魔術師のトートタロット』サイトリニューアル

          タロット王国から、ウェブサイトリニューアルのお知らせです🌈✨ 『時を超えて甦る的中秘儀!【レオン・サリラ】魔術師のトートタロット』 (ザッパラス社グループ提供)が、3月7日にリニューアルされました。 ✺ ✺ ✺ サイト上のタロットカードはすべて、タロット王国の摩風ゆみ(敬称略)による全く新しいデザインです。 一新されたタロットカードを見ながら これがあのカード!これはこの象徴だ!と ひとり楽しんでいましたが、 摩風先生からの無料版のお知らせを読んでいたら体験した

          『魔術師のトートタロット』サイトリニューアル

          いつも'ふたり'でいる。 ここで座り込んでるのも、ふたりでひとりで座り込んでいる。 むなしいと一緒にむなしく つかれると一緒になってくたびれておられるよう。 たましいのなかに、マトリョーシカみたいに入っている。元気がでなくてもうまくいかなくても、そのままでじっとしてみていたい。

          いつも'ふたり'でいる。 ここで座り込んでるのも、ふたりでひとりで座り込んでいる。 むなしいと一緒にむなしく つかれると一緒になってくたびれておられるよう。 たましいのなかに、マトリョーシカみたいに入っている。元気がでなくてもうまくいかなくても、そのままでじっとしてみていたい。

          求道者の枠を忘れ、無能で転落したひとりのまま 'いのち'の中にいることを教えてくださっている。 身命をかけて生きる導師を思い、大地の日々に向かってみる。 何が防御となるのかをタロットの霊は本当によくご存知なのだと思いました。 私はとても未熟なので、これを暫く学びたいと思います。

          求道者の枠を忘れ、無能で転落したひとりのまま 'いのち'の中にいることを教えてくださっている。 身命をかけて生きる導師を思い、大地の日々に向かってみる。 何が防御となるのかをタロットの霊は本当によくご存知なのだと思いました。 私はとても未熟なので、これを暫く学びたいと思います。

          希望の雫は万人に降り注ぐゆえに

          今日ふと、自分の内に、#0 The Fool の背景に描かれている光の雫が降り注いでいるのだなと思いました。 先人の方々から、こぞって学びを注がれているように感じられたことがきっかけに思います。我ながらおめでたいことです。 昨日からY先生による「楽園喪失」の講義が始まりました! 御本を見つけ、届いて、読み始めたといえばその通りなのですが、とても眩しい光の中に、ひとつの大きな新しい始まりが訪れたように感じるのです。それが現実として講義が始まったような感覚を自分の中に引き起こし

          希望の雫は万人に降り注ぐゆえに

          舟は神の海を かたむいて進む 舟が沈むなら それは神の海にしずむ。 まだ沈まないなら 神のシンボルを はこぶ / 片山敏彦 一昨年帰天されたT神父の著書に教えて頂いた片山敏彦とその詩。 自分の魂はずっと前に壊れていたことを見いだす。私が壊してきたのだ。 神の海は限りない。

          舟は神の海を かたむいて進む 舟が沈むなら それは神の海にしずむ。 まだ沈まないなら 神のシンボルを はこぶ / 片山敏彦 一昨年帰天されたT神父の著書に教えて頂いた片山敏彦とその詩。 自分の魂はずっと前に壊れていたことを見いだす。私が壊してきたのだ。 神の海は限りない。

          この場所から

          夕暮れに駆け込んで。またぐるぐると迷いましたが、たどり着きました。 クリスマスあるいは年末でしょうか。訪れた方のお花が挿してあり、霞草がまだ元気でしたので、持参したお花とご一緒させて頂きました。 ふと心の内を話し始めていました。話すうちに、己の変わらない醜さのせいか泣けてきました。 なぜ泣いている?自分の醜さで泣いている? それは泣く理由? そんなことで泣くくらいなら、醜いままでいいから与えられた使命に従っていきたい。 自分の心の醜さの苦しみくらいなんだ。そんなもので泣く

          今日も光が灯されるさま

          私が書くことの根底は、常に、師が教えてくださってきたことがあります。 私が気づいたこと、引用すること、感じることの起点はいつも、そこから始まっているはずです。 だから、私は何ひとつ得たわけでも知っているわけでもない。師や先人の言葉は光輝として何でもないただの人間である私をひたすら照らしてくださるだけです。このように捉え、言っていることすらも、私のものでないかもしれない。 それほどに、私からは何も生み出していない。 この埴谷さんの言葉が好きだった。 何か希望を感じ、そうなんだ

          今日も光が灯されるさま

          あなたの中に神は生まれなければならない。 キリストが千回ベツレヘムに生まれても、あなたの中でなければ、永遠に無意味である。 (シレジウス) 明日は0から始まっていくのですね。 師とタロットの霊のうちに、新しく歩むこと。

          あなたの中に神は生まれなければならない。 キリストが千回ベツレヘムに生まれても、あなたの中でなければ、永遠に無意味である。 (シレジウス) 明日は0から始まっていくのですね。 師とタロットの霊のうちに、新しく歩むこと。

          内的宇宙への探求:読み解きの試みから

          最近の師の投稿で、とくに分からない箇所があり考えていました。 とんでもない勘違い満載かもしれませんが、今取り組んでいる姿勢に従い、思索の試みに挑戦しました。 彼らというのは、"(有史以前からの)祖先たち" のこととあります。 この「事実」とは、「神と共にいる」ということではないでしょうか。 有史以前からの祖先(人類)の内には、神あるいは絶対的に超越的な存在と形容するしかないものが内在し、彼らが生きる上の認識として、その存在は彼ら自身と一体になっているかのように、決して切

          内的宇宙への探求:読み解きの試みから

          「何のために生きるのか」があれば

          先日、本を読んでいると、まるでそれまで私の中で眠っていた見えない羽根がじつはあり、その羽根が目覚めてきたかのように、シワシワの羽根をひそかに開いていくように感じた。 それはなんとも魂の痛みを引き起こすような感覚もあるのだけれど、それでいて魂は自分では行けなかった場所へ向かっていくことの深い喜びにも似たものを、どこかで感じ取っているようだった。 著者は、この地ではない世界の光を間違いなく知っている。それを知る人の言葉からは、文字を伝って言葉を超えたものが滲み出ている。それが人

          「何のために生きるのか」があれば

          隠された生命の息づかい

          すべての人間の奥底には、その人の本当のたましいの叫びがある。 どんな虚勢を力に生きていようと、どんなに冷めた姿勢で世界に向き合っていようと、その人たちの内なる奥底には、その人、個人の存在の本質が、何ごとかを求め、燃えている。 その情熱と断絶している人がいかに多いかを、私は知っている。 また、現世的なものや、知らないゆえに違うものを情熱と思い違いをして、求め続けている人もたくさんいる。 でも最終的に、どういうわけかそれらの追求がとことん行き着くところまで行くならば、何かにぶつ

          隠された生命の息づかい

          旅の始まり

          旅の始まり  友よ! 水は豊かだ。 それは限りなく千変万化する。 時には怒濤のように、 時には限りなく溢れ、 そして流れ、 しかし その激しい流れの底では あの小さな魚たちの寄り添いと触れ合いとを、 大切に守っていてくれるのではないだろうか。 熱くもなく、冷たくもなく、 その水底は限りない別世界なのではないだろうか。 水の底は限りない無限空間。 そこはいつでも 再び宇宙が誕生するところ。 私たちは自分のことではなく、 宇宙を探求し、宇宙と共にあるべきだ。 愛は常に新しい宇宙