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日本語と身体感覚

現代では言語化や説明に
分かりやすさが求められるようなってきている。
実際にビジネスやSNSでは端的に分かりやすい
コンテンツが伸びるようになっている。

これらの文化は欧米の思考、
文化の流れからきていて
ある意味無駄を取り除くことで
多くの人に支持を得ている。

しかし無駄を取り除くという事が
日本人の身体感覚、感じる力を鈍らせる
という事に繋がっていると思う。

分かりやすい言葉とは
食べ物で言えば流動食のようなもので
噛む、咀嚼をする事なく
体に取り入れる事ができる。

確かに栄養にはなるが、
無駄…ここでいう噛むという行為を
取り除くことで
本来使われるはずの筋肉、
感じるはずの味覚
噛む事で生まれる代謝や脳への刺激
多方面からの感覚刺激が奪われてしまう。

昔の日本では季節の移り変わりを
季語、俳句など今でいう分かりにくい
言葉で表現する。

しかしその感覚的な言い回しの言葉の奥には、
情景や感情、匂いなど
五感全てで感じる事ができる。

分かりやすさが必要ないと言うことではなく
意図的に使い分けられる力というのが
感じる力を取り戻すために大切ではないでしょうか。

あまりにも分かりやすさという文化に
触れすぎてしまった影響で
咀嚼する力、感じる力が現代人は
衰えてしまっているのかもしれない。

だからこそ、
自分の好きな事が分からない…
やりたい事が分からない…
内側の感覚を汲み取る力も衰えているのかもしれない。

昔の日本人は、言語や武道、舞踊などを
生活の中に取り入れ自然と感じる力を
磨いていたんだと思うと
なんて素晴らしい民族だと感じます。

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