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犬と歩けば棒に当たる

「犬も歩けば棒に当たる」という諺がある。なぜか子どもの頃から刷り込まれているが、実際のところ意味はよくわかっていなかった。これは、犬がうろつき歩いていると、人に棒で叩かれるかもしれないということから、でしゃばると災難にあうという意味なのだそうだ。時代背景が違うとはいえ、犬を棒で叩くとは愛犬家の私は黙っちゃいられない。ただ、「当たる」を幸運にあうこととし、思いがけない幸運があるという意味で使ってもいいらしい。真逆の意味にもなるとはなんといい加減なことか。

 我が家も2年前に犬を迎えた。毎日散歩へ行くようになると、なるほど、確かに犬と歩けば災難もある。かわいさのあまり夢中になってカメラで写真を撮っていたら、ポケットから落ちたスマホに気づかなかったことが幾度かある。ある時は運よく交番に届けられたものの、世代の違うお巡りさんたちのコミュニケーション不全により、2か所の交番を何度も往復する羽目になった。また公園の噴水広場の傾斜になった芝生で尻もちをつき下まで滑り落ちたこともある。あの時は公衆の面前で赤っ恥をかいた。犬ではなく私が棒で叩かれまくりである。

 とはいえ、得る物の方が断然多い。子どもの手が離れた専業主婦の私は、大きな声では言えないが、気が緩むとつい「ポテチを食べながらワイドショー」をしてしまっていた。それが犬を迎えてからはまず朝の散歩。てきぱき家事をこなし、夕方にまた散歩。規則正しい生活と適度な運動で、増加傾向にあった体重は安定し冷え性も改善した。何よりもいいのが、自然を愛でる時間を得たことだ。犬がひたすら木の葉や草についた他犬のおしっこを嗅いでいる間、私はすることがない。空を見上げ、雲を眺め、風を感じ、鳥の声を聞く。見頃でもない時期の桜をこんなにしげしげ見ることなどかつてなかったことだ。今では葉が落ち剥き出しになった枝を大きく天に伸ばす桜の木が一番のお気に入りだ。心が豊かになるというのはまさにこういうことなのだろう。

 人は歩くことで思考力や創造力を高められるという。あてもなく考えを巡らせたり、周りを観察したりすることが、新しいアイデアを生んだり、思いがけない洞察を得たりすることを促すそうだ。私の頭の中でも次から次へとアイデアが浮かぶ。これは面白い、noteに書こう、と思うのだが、パソコンを開いた時にはすでに消えている。犬と歩けば、行雲流水の如く生きよと教えられている気がしている。(1000字)

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