古人も多く旅に死せるあり

旅の煌めきは円環に閉じる日常の頭上に位置し、睥睨する。絶望に縁どられた終わりなき反復を嘲笑するため、旅に出る。

しかし日常もまた旅ではあるまいか?絶望の反復、不条理、死への逃避行――あらゆる手段を講じて空虚な実在を追い求め奪取した直後に、水浴の途中、蛇にとられてしまう…かつての英雄は、現代の矮小な市民となり果せた。編みこまれた叙事詩を自ら口ずさむ私は、自らを悲劇の俳優へ布置するほかない。

それゆえ、旅は騙られるものとしての日常である。悲壮な決意を抱いて出立した私は、同時に、不可能事を無邪気に信頼する愚者であり、日常へ向けた嘲笑は自らの人生全体へと反響するのだ。

海岸線と、それを伸ばす引き潮で、人間と領界を争いながら定期的に退くあの縁飾りとは、それらが人間の企てに向かって挑んでいる戦いや、包み隠している思いがけない世界や、人を喜ばす観察と発見で想像力に対してしている約束によって、私を惹き付けてきた。…
しかし船乗りでも漁師でもない私は、私の世界の半ば、むしろ半ば以上を奪って行くこの水に、私の権利を侵害されるのを感ずる。…
その上、私が海に認めている魅力は、今日ではわれわれに拒まれている。…海岸は、かつてのように大海原の孤独のまだ見えない姿を描いてみせる代りに、人間たちが定期的にあらん限りの力を集め、自由に向かって襲い掛かる、前線のようになってしまった。…それゆえ、私は海より山の方が好きだ。

                                                           レヴィ=ストロース著『悲しき熱帯』Ⅱ
                                                          川田順造訳、中央公論新社刊、p274-276


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