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終わりある生を前に、自分が取る行動は後悔じゃないほうがいいなと思ったら

手が震える、心が折れそう。

今の心境はそんな感じだ。

私は、先日一歩踏み出した。

踏み出したというよりかは、清水の舞台から飛び降りた、に近い。自分が今までの人生で挑戦したことのない所に立とうとしてる。大げさな言い方をすると、そんな感じだ。

私にできるだろうか。不安でいっぱいだ。

何が不安だろうか。迷惑をかけることだ。

そうか、今の不安の原因は失敗することでは無いのか。迷惑をかけないかどうかが不安なのか。誰に迷惑をかけることだろうか?家族に?お世話になっている同僚や上司に?迷惑をかける前に、不安になっていたら本当に身がもたない。私は今、本当に体力がないみたいだ。

迷惑をかける前に不安になったら心配することは、できるだけ、止めよう。

それで、迷惑をかけるっていう状態は、自分にとっていったいどんな事だろう。

一、自分の仕事ばかりに時間を費やしてしまい、家庭が疎かになること。多分、目に見えてわかるし、ストレートに苦情がくるだろう。

二、自分の家庭の事情で、仕事が中途半端になること。おそらく、時間が足らずにミスや抜け漏れが生まれて、これまた遠回しではあるが苦情が来るだろう。

三、思った以上に辛くてもうダメだ!と投げてしまうこと。苦情はこないけれど、期待に応えたい自分からの苦情がくるかもしれない。でも、この選択肢はよしとしておく。自分にとって合わないことは、あるかもしれないし、あまり迷惑をかけなさそう。

ちょっと書き出してみただけでも、考えるとゾッとするなぁ。

でも、はじまってしまったし、終わりは決まっている。結果は今は分からない。今この瞬間から、やれることを、やるしかないのだ。限られた体を使って。

体については正直無理してきたとおもう。多分、自分の事を蔑ろにして、自分に甘い我ながら無理してきた。仕事に復帰してから、2ヶ月ほど、あまり記憶がない。仕事の結果は出ていないが、最悪ではない。子ども達はなんとか育ってくれている。その間、私のことは一体どこに行ってしまっていたんだろう。

ここ数ヶ月、忙しさと疲労感にただただ支配されていた。産後、体重は減っていくばかりだった。減り方は私にとっては適切じゃ無いので不健康な状況だと思う。

挑戦する余裕があるのか?いやいや、ナイナイ!じゃあ、私はなぜ、挑戦するんだろうか。母だから子ども達のために何かしたかった?本当にそうか。何かに挑戦したかったから?どうだろう。仕事が好きだから?そんなカッコよくない。逃げたかったから?多少それはある、笑

ひとに迷惑をかけることを苦痛と感じる私が、家族に迷惑をかけてまで何かをやろうと思った、その動機は?

動機は母の存在だ。

そう遠くない過去、母は生死をさまよった。

私は、母を亡くしたと思った。コロナで会えぬままにいってしまうかと思った。その時、わたしは、大切な家族を失うに似た経験をし、家族を大切にしている自分を見つけた。

そこで考えた。

例えばの話で、明日母が死ぬと分かった時、母に対してやり残した事がないだろうかと。後悔する事が一切ないだろうか。自分とは十分に母と語り合えたか。母の事をどこまで理解し、知っていただろうか。

おかあさん、おかあさん。大好きなおかあさん。いつまでも元気でいてほしい。側で見守っていてほしい。ありがとう。じゃあまたね、って電話口で言わせてほしい。そんな自分の気持ちをきちんと、伝えてきたか?

じゃあ、今自分にできることはなんだろう?今の自分じゃ後悔ばっかり。母にきちんと言おうと、言葉や思いを伝えようと思った。

いつもすぐに会いにいけなくてごめん。そばにいて看病できなくてごめん。いつも一緒に過ごせなくてごめん。あんまり連絡しなくてごめん。そんなゴメンともバイバイしたい。会いに行きたければ、他を捨てて会いにいくべきなのだ。何かの理由で躊躇して、選択を誤ってはダメだ。自分にとって大切なものを見失ってはダメだ。取るべき選択はいつも、迷わず母に会いにいく事だ。そのための方法を考えることだけをすべきだ。

明日、自分すら、生きているという保証はないのだと思い始めたら、思いが私を一歩前に押し出していた。

もし、明日自分が死ぬと分かったら、何をするだろう?何をしなかった事を悔やむだろう?今まで、どんな後悔をしてきただろう?挑戦しなかった事、本当は思っていたけど、無難な方を選んだ事。本当は好きだったけど、そんなの無理だとさっさと諦めてきたあれこれ。そういうの、やっとけばよかったなぁとおもうに違いない。

じゃあ、やろう。今やろう。準備不足でも、仕方ない。明日も生きてる保証はないから今やるしかない。死ぬ間際に後悔したくない。限られた人生で、自分がやりたいと思った事はひとつでもやっていこう。力不足でも、知識が無くても、平凡な私でも、恥ずかしいくらいはどうってことないし、わかりませんでいいし、馬鹿野郎でもトンチンカンでもなんでもいい、やろう。

家族に迷惑をかける心配をする前に、迷惑をかけてみてから考えよう。無責任だけど、そうおもう事でしか今の私には決断ができない。

自分なんかが何かできると思っているのか、とこころが叫ぶ。うまくいきっこないから期待するなと、思いっきり挫折するかもしれないと、恥ずかしい思い、出来なくて泣いてしまうほど辛い思いをするんじゃないだろうかと、臆病なこころが叫ぶ。

ハイ、ココで一旦マインドセット。

変わるとかいうんじゃ無い。

やらなかったことをやってみるだけ。何かできるとは思わないこと。できなかったことは次できるようにすること。きっとそんなにうまくいかないからまず期待しないこと。挫折するかもしれないけど、成功したこと、上手くいったことはきちんと喜ぶこと。

ただ、やらないよりやろうと。やりたくないことを続けることだけは時間の無駄だからやめようと。

私は母に感謝してる。大変な思いをしてここまで育ててくれたことに。父にも感謝してる。辛い仕事を家族の為にやっていたのだろうと。子供の頃には想像もできなかったけれど、今は少し思うところはある。

だから、何かこの育ててくれてありがとうの気持ちを届けられる仕事を、仕事を通じてできないかなとおもう。身の周りの誰かを、困っている誰かを、辛いって思うっている誰かの手助けが仕事を通じて、仕事としてできないだろうか。

実現性とか、計画とか、資金調達とか、何をやるかはこれからだけれど。今日からそれを決めていく。私の目的は仕事を通じて自分の周りの人の暮らしを楽にする事だ。ハタ楽。それが、私の目的だ。ハタ楽にできること、ハタ楽にすべきこと、ハタ楽のためにやめたり、すべきでないことはなんだろうか。

今日ここにじぶんの心を書き置いておいて、また未来の自分が読み返してくれる事を楽しみにする。

読んでくださった方、私事ばっかりでごめんなさい。共感もへったくれもない文章です。

ただ、貧弱なメンタルの持ち主の自分がなぜ奮い立ったのかを、原点回帰のために書き留めておきたかったので書きました。

ついでにその時同時に思っていたことも付け加えておく。悩んで悩んで、頭抱えながら、こんなこと考えてたよ、と。

それほんとに無理なんですか?無理って自分が思ってるだけじゃないですか?やれない理由は本当はどこにあるんですか?っていう事を選択時によくよく考えるべきだなぁ。

出来ないと思ってる人、アナタ(自分)だよ。無理って言っているのは私だ。やれない本当の理由は、どうすればやれるかということを考えずにきたからだ。

でも、変わろうとするんじゃなくて、やれる事を見つけてやるだけ。私はわたし。それだけは変えられない。私がやれる事を見つける、それを仕事で続けるだけ。私の持っている感度を磨き続ける、それを仕事でやっていくだけ。

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