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エルサと自己受容

2021年、ストレングスファインダーの結果に衝撃を受けた。

えっ、自分ってこんな感じだったの?

自己分析ができていなかったわたしは、ストレングスファインダーで思わぬ才能を示されて戸惑った。

その後、自分を見つめてみて納得する(というか、ほぼ鵜呑み?)から、自分の行動にも合点がゆき、自己肯定感が高まった。

なぜ自己肯定感が高まったのか、この次はどうすればいいのかが気になった。

自己受容。

調べているうちにこの言葉を初めて知って。

自己受容のことを考えると、「アナと雪の女王」とエルサと主題歌「let it go」が頭の中をぐるぐるする。

「ありのままの すがたみせるのよ

 ありのままの 自分になるの」

「アナと雪の女王」を見ていると、エルサの考え方や生き方に少し自分を重ねてしまう。映画は2回くらい観ただけけれど。

人と違う部分があって

それは時に周りの人に影響を与えてしまう

だから人には知られたくない

違う部分も自分の一部なのに受け入れられず、誰かと共有することもできなくて

なぜ自分だけ違うんだろうと

理由を誰かと探すこともできず

ただただ人と距離を置くことで

干渉し合うことを避ける


自己受容。そのままの自分でいい。

自分が自分をそのまま受け入れること。

エルサがそんな風に思ってから

彼女の生き方は少しずつ変わっていった。

はじめからうまくいかなかったけれど

自分を隠さないことからはじめて

そんな自分でも側にいてくれる人がいることがわかって

やっと、広い世界に足を運べた

違うのは自分だけではないことにも気づく

いろんな立場や考えがあることも知る


なぜ、エルサがありのままの自分を隠さないで生きようとしたのか。

それは、理想的な女王でなければという期待や想いを捨てることになったことがキッカケではないだろうか。

そういった事を捨てて、

そのままの自分を好きになっていいんだと、エルサ自身が気づいたとき。

その時のエルサの行動に周りはついていけない、という反応だった。

妹アナすら姉エルサを理解することができなかった。

一緒に過ごしてきた家族でさえ、いつしか本当の家族の姿は分からなくなってしまうのである。

家族という関係だから、いろんな経験を共にしてきた実績があるからこそ、分かり合うことに手を抜いてしまうのかもしれない。

昼間に月があっても見えないように。

月夜、月あかり、あんな月、こんな月…そんな月を何度も見た経験があるからこそ、月とはこういうものだという概念が生まれていく。そして概念を身につけてしまうと、月ってどんなものだっけ?と考えることを忘れていく。月から見た世界の見え方を想像しにくくなっていく。

自分のことすらこんなにわからない。家族のことをいったいどれくらいみんな何をわかっているというのか。

自己受容って、専門的な知識は何もないけれど、生きる力の、ものすごく根本的なものなんじゃないかと思った。






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