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すっきりしないゴール。カミーノ巡礼799km。7月15日

最後の日

いよいよゴール、サンティアゴまで20キロ。最後の日をむかえる。

●すっきりしないゴール

巡礼最後の日も夜明け前に歩き始めた。人が多いが、知り合いには会わない。

道沿いにTシャツやバンダナ、キーホルダーを売る土産店。店員がこちらに向かって「コリアーノ」と言っているのを聞いて高校生の頃見た映画「GO」を思い出した。

窪塚洋介演じる主人公に対して父役の山崎努が「No soy coreano.ni soy japones. yo soy desarraigado.俺は韓国人でも日本人でもない。俺は根無し草だ」と言う、なぜかスペイン語のセリフがあった。

その頃は、スペインにもスペイン語にも何の関心がなかったが、今スペイン語に囲まれて3週間以上、これまでで一番永く滞在している外国になった。

11時前、ゴールのサンティアゴ大聖堂まで残り1キロ。「フィステラ&ムシアバスツアー」の案内チラシを手渡された。

「地の果て」を意味するフィステラ(英語名:the end of the world)は、サンティアゴの先約90キロの海沿いの町。巡礼0キロ地点の標識がある。巡礼に使った道具を燃やす慣習が続く地点で、さらに3日かけて歩くかどうかはまだ決めていない。「サンティアゴに着いて決めよう」と決めていた。

正直バスツアーのチラシを見ながら、やっとたどり着いた場所に観光バスの客がたくさんいる光景が浮かんで、たぶん歩くだろうなと思っていた気持ちが萎えた。

でも、フィステラまで歩くほうが清く正しく美しい気はする。

ケルト音楽を演奏者がいるアーチを抜け、サンティアゴ大聖堂はあった。

大聖堂前の広場には、到着した人たちが寝たり、座ったりしている。写真を取り合う人、抱き合う人。もちろん観光客も土産売りも多い。

広場に座り込み僕は、「終わった」とだけ思った。

明日から夜明け前に起きないで良いし、一日中歩かなくて良いし、歩き終わって洗濯しなくていいという安堵はあったが、なんだか空っぽになってしまった気がした。

しばらくして、いつもどおり街をぶらつき、そのあと巡礼証明書を発行するオフィスへ。建物の中には手続きの行列、僕も受付番号を手にディスプレイに写る数字を見ながら待った。

20分待ってカウンターに着くと、

「証明書は無料ですが、名前と出発地点と距離が入った証明書は別途3ユーロです」

3ユーロを支払って手にした証明書に「サンジャンピエドポーから799キロ」と記されてある。

街歩きもしたし、遠回りのルートも選んだし、道も間違えたりした。スマホアプリには歩行距離は870キロを超えていた。

観光案内所でフィステラ行きの情報を確認。次の目的地であるポルトガルのポルトへの行き方も確認した。

昼食は最後の「ペレグリーノメニュー」。前菜とメインとデザートが選べてパンとワインが付く巡礼者向けメニューでどの町にでもあった。

前菜にパスタを選んだが、やはり不味い。最後までペレグリーノメニューの美味しいパスタには出会わなかった。イタリア人が、「パスタを!レンジで!温めるなんて!ありえない!」と言っていたのを思い出した。

不味いパスタを食べながら「フィステラにはバスツアーで行って、ポルトへ向かう。そしてアフリカで、モロッコで時間を使おう」と決めた。

レストランを出るとハイディと再会できた。最後3日は結構飛ばしたつもりだったが、彼女もほぼ同じペースだったようだ。出発が一緒だった人と会えて嬉しい。

「おめでとう!Congratulations!」と言葉を交わして握手。Congratulationsなんてゲームクリアしたときしか聞かない言葉だった。

「フィステラには行くの?」

「行くつもりだったけど、やっぱりここから家に帰ることにした」

強くなりたい、沢山の人と話したい、痩せたいと言う目的が果たせたのだろう。

ホステル兼アルベルゲと書かれていた宿の受付で、22ユーロと書いてあったから一度出てからスマホで調べなおしたら、一番安い宿。道中のアルベルゲとの値段の差にびっくり。

また戻ってチェックインしたいと言うと、受付のお姉さんに「戻ってくると思った」と言われて苦笑い。

シャワーを浴び、登山靴を洗い、受付のお姉さんお勧めの公園を散歩した後、再び広場に戻り、夕方から大聖堂で行われる巡礼者のためのミサの始まりを待った。

キリスト教徒ではないので端の方でミサを見ていた。スペイン語と時々ラテン語。神父が入れ替わり立ち代わり話し、歌った。参列者もそれに合わせて、座ったり立ったり膝まづいたり読んだり。学校の卒業式のような1時間半だった。

僕は、これまでの人生で、とくにこの旅を通じても、人間は国、人種、言語に関係無くそんなに変わらないものだなと感じていたのが、急にわからなくなった。

歴史と宗教と信仰についてもっと知る必要があると感じた。

消灯のベッドで僕は、歩き終わった達成感より、目的が無くなった喪失感とミサでの置いてけぼり感が整理できないなと考えていた。

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