見出し画像

私が大切にしていること【表現者:まこと】

こんにちは。まことです。今回のテーマは「私が大切にしていること」です。これは毎月のことなのですが、日常生活で自分の考えだったり感情だったりにクローズアップする事はほとんどないので、noteを書く時はいつもいい意味で頭を抱えています(笑)

さて、「私が大切にしていること」ですが、何というか、とても言語化するのが難しくて…しいて言葉にするなら、「自分を疑うこと」です。ただしこれは決して自分を否定するための心がけではありません。私は「自分を疑う」=「他人を傷つける確率を減らす」だと考えています。そしてこの背景には自分自身が人を傷つけ、また人に傷つけられた経験があります。

私にとっては「正しい決断」も、世間では「間違っている」と言われる

ワークショップでの1枚

私のバースデーランウェイにおいての夢や以前のエッセイにも幾度となく書いてきましたが、私は家族に傷つけられた人間です。「家族」というものに対しての拭いきれないコンプレックス、親に対しての深い怒りと悲しみを抱えているため、「家族愛」「親孝行」といったことに対しては距離を置いています。ですがこれは社会において、「間違っている」と評価されます。私も10代の頃はよく同級生に冷ややかな視線や言動を浴びせられました。

自分を守るために親を敵と認識する。そうする必要があった。その決断のおかげで私は自分の人生を始められている。私にとっては「正しい」決断だったと時間がたてばたつほど感じています。しかし、社会の正義の価値観で私は「親を大切に思えないダメな人間」「親不孝者」のレッテルを貼られ、自分でも自分を責めていましたし、今でもその自責の念はずっと持ち続けています。これが世間の固定化された価値観に傷つけられた経験です。

一つの価値観で何かを評価することの危うさを思い知らされた

そして同様に私も人を傷つけました。私には二歳上の兄がいます。第一子として、長男として、家庭環境の影響を私以上に受けてきた兄。私が中学生のころに精神的に限界がきて、毎日母と怒鳴りあい、家庭の中で荒れ狂っていました。その様子を見ていた私ですが、当時は母と怒鳴りあい、傷つけあいになる兄の言動にばかり意識が向いて、兄をずっと責めていました。

「悪いのは兄であって、兄が変われば平穏な生活が手に入る」そう信じ込んでいました。幼少期から不安定な家庭で育ち、過剰なプレッシャーと仕打ちをより強く受けてきた兄の事情を考えることはありませんでした。

私は、目の前の状況だけで兄が悪者だと判断し、その自分の考えに疑いを持つことがなかった。その結果、兄は家庭で母と私の二人と対立することになってしまいました。私も自分の価値観で人を傷つけた。たった一つの価値観で何かを評価することの危うさを思い知らされた経験でした。

何が正しくて、正しくないかは人それぞれ。傷つく人が少ない世界を

まことさん

大前提として一人一人、譲れない信念がきっとあると思います。そして、疑うまでもなく「悪」であることも一定数この世には存在しています。ですが、人はみんな違う人生背景を持っていて、何が正しくて、何が正しくないのかは人によって様々です。

そしてそれが一致しなかったとき、片方が、もしくは双方が傷つく結果になることを私は望みません。「私の正解は本当にこの人にとってもそうだろうか?」そんな疑いを自分に持ち、できる限り傷つく人間が少なければいいなと思う毎日です。

(編集:響あづ妙
◆◆

まことさんの活動はこちらからもチェックできます👇✨


読んでいただきありがとうございます!フォローが励みになります!