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随筆 四面楚歌

ごくごく有名な故事成語に「四面楚歌」なる言葉がある。史記の『項羽本紀』の一説より引用されるこの言葉は、
「周囲が敵や反対者で、全く孤立して、助けや味方がいないこと。またはそのさま」(日本国語大辞典)
との意味を持つ。中国古代史には全く以て明るくない上につまらぬ分野だと見做しているので、項羽が〜、楚が〜なぞと言われてもピンとこないのであるが、私がこの言葉を使用されている場に臨んだ時、些か釈然としない想いを抱くことが多い。彼らが「四面楚歌」を口にするとき、それがどのような状況下、どのようなエピソードを指して表現していたとしても、私が中学一年生の頃に体験した過酷極まりないエピソードの足元にも及ばないからだ。
 
中学に上がって初めての夏休みを迎える辺りであっただろうか。私は“恐らく”軽いイジメを受けていた。
“恐らく”と保険をかけたのは当時私の置かれていた環境がイジメであるのかどうか、齢24歳を迎えた今顧みても判然としないからである。
受けていた仕打ちというのも、ここに列挙するほどさしたるものではない。無視や悪口、すれ違いざまの舌打ち程度のものである。また、友人も全くいなかったわけではなく、寧ろそれらのイジメの行為に対して身を挺して庇ってくれる者もいた。孤独ではなかったのである。
無論、それらの心ない行為に対し一抹の不快感や憤りを感じることはあったが、なぜだろう、煮え切らないというか…
これらの釈然としない感情は、殊、“イジメ”なる行為が身に降りかかるに至った原因がはっきりしていることに所以している。
きっかけは些細なことだった。中学一年生の時分に同じクラスになった或る女の子がとにかく気に食わなかったのである。彼女の無意味な絶叫や、かのAK-47をマガジンいっぱい打ち尽くすような銃声の如く喧ましい笑い声が癪で、一定の距離を保つようにしていた。先方もこちらが良い印象を抱いていないことを察してか日に日に険悪さを増していたのだが、確か技術家庭科の時間だったろうか、同グループであった彼女からことあるごとに「キモい」との言葉を投げられたことに端を発し、私の幼い理性は爆発した。ただ所詮は私。崩壊した理性で発作的に顕になる暴力性…なぞは教室にテロリストが飛び込んできてそれを蹴散らすようなチャチな妄想と同じで、どれだけ尊大な理性が傷つけられようとも、相手に対してすぐに抗議できる誇り高い気概は持ち合わせていない小心翼翼な人間である。結句、何も言えず憤怒の相のまま帰宅したのだ。
とはいえ、このまま奴を野放しにしておくわけにはいかない。至極姑息な考えの持ち主である私は、彼女に対する悪口をふんだんに書いたメール(当時LINEは主流ではなかった)を同クラスの友人らに送った。愚痴を垂れることで幾分か溜飲を下げた私は、日中の不快を洗い流すべく風呂に入ったのだが、湯上がり後にもかかわらずまさに字の如く青ざめてしまう事実に直面する。私のガラケーのディスプレイに映っていたのはかの憎き女から届いた大量のメールであった。
冷や汗が止まらぬ。全く解せない。なぜ奴からメールが届いているのか。あまりに唐突な矢文に虚を突かれた私は、遂に冷静さを失ってしまう。しかし、なぜこのような状況に陥ってしまっているのか、奴からのメールを確認しないことにはわからない。恐る恐る、そして迫り上がる胃酸を抑えつつメールを確認すると、そこには夥しい量の聞くに耐えぬ悪口が羅列されていた。案の定というか、奴から悪口以外で私に用事があるわけがないのでさして驚きもしなかったのだが、肝心の“なぜこのようなメールが送られるに至ったのか”がわからずに画面と睨めっこしていると、再度肝を冷やされる事実が判明した。
メール件名に「Re:」の表記があったのである。全くの青天の霹靂だ。私は奴の悪口を書き殴ったメールを友人に送ったつもりであったのだが、あまりの憎しみの強さに我を失っていたのか、送り先を誤って本人に送り届けてしまったのである。
大失態だ。もうどうすることもできない。今から弁明を図ろうにも何をどう説明しろというのか。謝罪なぞ劫火に油であろう。私は項垂れるしかなかった。明日から始まるであろう思春期のガキには到底耐えうることのできぬであろう仕打ちに身を震わせ、子犬のように怯えるしかなかったのである。
 
さて、翌る日、落ち着きのない表情のまま教室へと踏み入れた刹那、
「ちょ、樋口。こっち来いや。」
との一声。
昨日一晩中、件の顛末について考えあぐねたが、結句どう転んでも集団リンチは避けられぬと踏んでいた私は、太平洋戦争開戦直後のオランダ兵の如く即座に降伏の意を決し、
「はい、今すぐ行きます」
と情けなく吠えるのみであった。
ときに、「集団リンチ」という語を用いた理由であるが、彼女が所属していた部活動は女子バスケットボール部であったのである。皆まで言う必要はないと思う。彼女らの集団心理は凄まじい。過剰な仲間意識と思春期特有のタカが外れたヒステリーが彼女らの猟奇性に拍車をかけ、外部の敵に対して殺害をも厭わない敵愾心を露わにする。
教室を出るとそこには十数人の女子バスケットボール部が待ち構えており、四方八方から悪口を浴びせられた。まさに不名誉な聖徳太子である。100%私の失態が招いた結果となれば、心を無心にして耐え忍ぶしかない。弱冠12歳のガキには到底受け止めきれぬような罵倒を、
「はい、すいませんでした」
の一手のみで捌ききった。向後一切の悪口にも動じぬメンタリティはこの時培われたと、今顧みて思う。
 
この日から、何かにつけて開催されるこの“呼び出し”にビクつきながら、彼女らに余計な刺激を与えぬよう慎ましく生きる道を選ばざるを得なり、私の思い描いていた華の学生生活も半ば終焉を迎えたような体となってしまったのであるが、これら“イジメ”ともいえる仕打ちはかの秋の出来事の前哨戦に過ぎないのであった。
 
一寸、目立った行為でもすれば罵詈雑言を浴びせられる恐怖におびながら半年ほどが過ぎた或る日の昼休み、次の授業である体育の準備をしていた。この日の体育は柔道の授業であり、体操服ではなく柔道着に着替えなければならない。しかし、何故か私のロッカーから柔道着が消えていた。教室を隈なく探すがどこにも見当たらない。柔道の授業がある期間中は家に持って帰ることもなかったので忘れたはずはない。で、あればどういうことだろうか。悪い了見を起こし、だんだんと焦りを隠せなくなってくる。一抹以上の不安が過ぎる中、見つからぬのであれば他クラスに借りに行こうとした刹那、同クラスの女の子から
「あ、樋口くんの柔道着、一階の女子トイレにあったで」
との報告。その子の口元に浮かぶ不吉な笑みに全てを察した私は、一瞬にして血の気が引く思いをしたのだが、あくまで平静を装い、
「え?もお、誰やねん、そんなところに隠したやつ笑」
と一世一代の強がりを込めて言い放ち、苦笑いをしながら教室を飛び出て一階へと駆けて行った。苦笑いをしながら、冗談は寄せよという風にクラスの友人に一瞥くれるが、彼らの表情は重く引き攣った様子。そう、彼らはそんなことするような人間ではない。そんなことは私もわかっていた。だが、彼らに罪を擦りつけるようにしないと、私の心身がどうで保てる筈ではなかったのだ。
恐る恐る女子トイレを覗くと手前から3番目の個室に柔道着が捨てられていた。畢竟、これは完全なるイジメである。込み上げてくる熱いモノを抑えながら震える足で女子トイレへと踏み入れる。無論、ここへ入ることは私が男性である以上、如何なる理由があっても許されることではない。況してや思春期の異性が用を足す厠である。この状況を誰かに見られでもしたら忽ち噂が広がり、今までのような柔いイジメでは到底おさまらなくなる。しかし、背に腹は変えられぬ。それにこれ以上奴らの恣にしておく訳にはいかなかった。
ある種抗議めいた意思を以てして果敢に足を進め柔道着を手にした途端、
「うわ!きっしょ、お前何してんねん!」
と、叫ぶ声。
ハッとして振り返ると、女子トイレの入り口に奴の姿が見えた。しまった、と思ったが時すでに遅く、運悪く(あちらからすると首尾よく?)女子バスケットボール部の群れが通りかかり、その声を聞きつけたのか、一斉に駆け寄ってきた。
さぁ、私の右手には柔道着。フィールドは女子トイレ。敵は入り口を包囲しこちらに対し、排泄物でも見るかのような軽蔑の眼差しをむけている。今この場に駆け寄ってきた者たちは、この状況を見ると私がとんでもない変質者に見えたことだろう。進んでも地獄、退いても地獄。
一体誰がこの状況を打破できるような弁明や、機転を効かせた一言を飛ばせると言うのだろうか。
結句、私は全てを諦め、向後浴びることのない量の罵声と罵倒を四方八方から喰らうこととなったのである。
 
いつの日か、故事成語「四面楚歌」の成り立ちがこのエピソードに書き換えられることを願います。

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