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ナザール石井

タバコにコーヒー 元旦に御節 ブラビに南ちゃんなど「なくてはならない」ものは万物に必ずしも存在する。
私にとっての「なくてはならないもの」は間違いなく鼻炎スプレーである。
手のひらより少しく小さく、ノズル型の噴射口を備えたそいつに私は生かされていると言っても過言ではない。
年中鼻詰まりの私にとって、鼻炎スプレー無き生活は乃ち死を意味する。
自分の生活圏での最も近い位置、リビングで特に居心地の良い定位置から手の届く、半径1.5m以内にそいつがないだけで動悸がする。例えば外出。私が気軽に家に帰れない距離へと、そいつを帯さずに戸外へ出た場合はどうだろう。外出の真の目的など上の空、向後の私の気道確保、他のことなど全く手につかず、如何にして鼻詰まりを解消するかに全神経を集中させる。

ここで一寸、鼻炎スプレーについて説明しておかなければならない。
鼻炎スプレーとは、ドラッグストア等で購入できる第二類医薬品であり、主に花粉症や風邪などで引き起こされる鼻汁過多や鼻詰まりにを緩和させるための薬である。一本が大体千円前後で販売されており、かなり種類も豊富だ。仕組みとしては、薬中に含まれる抗ヒスタミン材でくしゃみや鼻水を抑制、殺菌剤で鼻腔の滅菌消毒を行い、血管収縮剤を以て鼻腔の毛細血管へと働きかけて鼻の通りを良くする。使用されたことのある方ならば覚えがあるだろうが、鼻炎スプレー使用時の爽快感たるや比類なきことこの上なしである。ひどい風邪で両鼻腔を完全に閉ざされ、口呼吸を強要され寝苦しい時こそ、こいつの出番だ。一発鼻腔奥深くに噴射することにより、ものの二、三分で健常者と変わらぬスッキリとした鼻呼吸を取り戻すことができる。

さて、そんな秘薬とも呼ぶべき鼻炎スプレーをなぜ私は手放せなくなってしまったのか。それにはこの薬の用法と成分に原因がある。
この薬は、使用上の注意として「一日三回まで」との回数制限が設けられている。それは、先述した「血管収縮剤」にある種の依存性が含まれるからである。鼻炎スプレーを噴射された部分の毛細血管は、血管収縮剤によって収縮し、鼻詰まりを起こす鼻腔の腫れが一旦引く。しかし、四、五時間ほど経つとまた毛細血管が元の太さへと膨らみ、再び鼻腔の奥を腫れさせる。そうするとまた鼻詰まりを起こしてしまうのである。悪いことに鼻炎スプレーを継続して使用することによって、この収縮→膨張のスパンがどんどん短縮されていってしまう。使用当初は一日三回で済んでいた噴射も日を追うごとに回数は増え、私のような“鼻炎スプレー中毒者”になると、一時間に一度以上の噴射を必要としてしまうのである。
これはシラフを怖がるジャンキーと全く同じ思考回路。薬効が切れ、鼻詰まりによる窒息死怖いのだ。
それ故に、外出時ポケット内に鼻炎スプレーがなければ、冷や汗をかき、動悸が激しくなり、何も手につかなくなってしまうのである。

聞けば私の周囲にも同じような中毒者は何人か居て、かのダウンタウンの松本人志も鼻炎スプレーが手放せないとのこと。鼻腔にノズルを突っ込み鼻炎スプレーを使用する姿は、我ながら非常に滑稽であり、いまだに恥じらいを捨て切れないが、テレビに映る憧れの松ちゃんが番組中に「シュッ、シュッ」と鼻に差している姿を見て、何故だか救われたような気持ちになったのを覚えている。

それほどにまで私にとってなくてはならない存在の鼻炎スプレー。
仮に親が死んで、遺骨拾ってる時に鼻詰まりになってしもうたら、喉仏挟む前にスプレーして鼻の穴広げるわなあ。

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