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随筆 歯滅

人相はその為人を表すとはよく言ったもので、その人の行いや思想はそれらの善悪に関わらず表情や顔色に現れるというものであるが、まさにその通りであり、もちろんスティグマ的な見識で他者を判断することは憚るべきだとは思うが、対人関係において第一印象は自衛のためにも他者を振り分けることにおいて最も重要かつ信頼すべき指針である。

となれば、私は歯列こそその為人を表すのではないかと思う。
さぁ、以下論説の如く歯列の悪い人間とその悪行について例として列挙し、持論の骨子として組み立て議論を展開していくべきであるが、そのような非科学的で右翼陰謀論者が喜ぶ主張を繰り広げることは未来ある若者として甚だしく恥の行為であるからして、ここではいったいに例とは私自身であると引き受けて話を進めていきたい。

私は著しく、それはもう目も当てられぬほどに、歯並びが悪い。悪いというか終わり腐っている。午前7時の5万ほど負け越した後の雀卓に並ぶ牌の如く無茶苦茶である。上前歯は中心に向けて谷折っていて、それらを筆頭にして第二第三の歯の生える位置や角度が決まるのであろう、皆が機嫌を損ねたようにバラバラの方へ向いており、見る人により不快感を増長させている。
更に悪いことに咬合動作を行うと上前歯は下前歯より後ろにきてしまう、いわゆる「反対咬合」の状態であるのだ。おそらくであるが私の口内は12,3歳の頃から上前歯が下前歯より前に出ることをやめてしまった為、かれこれ10年間ほど前歯をふんだんに使用しての咀嚼を行なっていないはずである。専門医は、このまま反対咬合が続くと40代を迎える頃には前歯が死滅して抜け落ちると指摘した。そんなアホな〜と汚い歯列を剥き出しにして笑ったが、医者の方は笑っておらず本気だった、脅しではないらしい。

さて一寸話を冒頭に戻すが、歯並びの悪さは世界的に見ても忌避されるべき体の不調である。もちろん見た目の悪さもあるが、悪すぎると私のようにまともに飯が食えなくなる状態にまで追い込まれることも珍しくない。そのため他国では歯列矯正に保険適用されたり、補助金が出るなどして幼い頃からの治療を推進している。何も私は歯列矯正が保険適用外の日本の福祉を斬ろうだなんて薄寒くて安っぽいリベラル活動をしようとは毛頭考えていない。税金はもっと困窮している人間や病人に使われるべきであって、歯がガタガタなぐらいの人間に割かれるべきでないのである。
と、まぁくだらん御託を並べたが、歯列矯正は可能な限り(経済的状況を含め)全ての人が行なった方が良いのである。
かく言う私も例に漏れず、7歳の時分に歯列矯正をした。その頃は反対咬合のような後戻り不可の状況ではなく、そこそこに乱れた歯列であった上、永久歯が生えそろい始めた頃であったため軌道修正が容易であった。たしか二年そこそこで一般にまともな口内環境へと戻せたような記憶がある。
しかし、矯正器具の取れた小学3年生の時である。近所の公園で遊んでいた私に対し、2つ年下のガキがドロップキックをかまし、そのまま吹き飛んだ私はコンクリ造のどでかい滑り台に顔から激突した。顔から、というか“前歯から”ぶつかったと思う。ドロップキックによって吹き飛んだ私の体にかかる位置エネルギーは前歯一本を作用点として滑り台と接触し、相対する向きにエネルギーが分散される。想像に容易いと思うが歯は真っ二つである。
歯が抜けるでもなく折れる経験が初めてであった樋口少年は涙を目に溜めながら飛ぶように帰宅し母親に泣きついたのであるが、母親は特段驚いた様子もなく慣れた手つきで歯をジップロックに入れ、そこに牛乳を注いでそのまま歯医者へ連れて行ってくれた。今になって思うのだがなぜ母親はこのような民間療法の手筈を最も簡単に繰り出せたのだろうか。かなり気味が悪い。

この日を境に前歯の治療が始まり、結句修復不可能であった私の前歯は現在インプラントとなっている。ただ、これが悪夢の始まりであった。金八先生の言っていたように腐ったみかんの隣においているみかんは同様に腐るのである。私の歯はそのインプラント歯の参入を引き金としてガタガタと崩れていった。
それに伴い思春期を迎えた私の顎はどんどん長くなる。この現象に関しては詳しい原因は定かではないが、現状、伸びてしまっているので仕方ない。
よって、幼少の努力(金銭)虚しく、成人の私の歯は全くもって修復が不可能の域へ達してしまったのである。
そういえば、私の背中を無為に蹴ったクソガキは幼いが故の悪戯として不問とされたが、向後の私の人生を狂わせた元凶であるからして今からでも遡り、方の元に裁きを下すべきではないかと考えている。クソガキさえいなければ幾分かマシな歯並びで多少は異性にモテたかも知れぬではないか。実に業腹だ。

先ほど私に歯抜け宣告をしてきた医師は、手術を以てして歯列を整える方法を提案してきた。総額200万と最短でも5年の歳月を要するらしい。背に腹と私はそれらの治療をお願いしたが、検査のうちにまたしても大きな壁が立ちはだかった。
かのインプラント歯の根本が腐り始めているらしい。
兎にも角にも、この歯の治療を施さない限りは歯列矯正の治療を始めることができないとのこと。
またしてもあのクソガキは足を引っ張ってくるのである。

結句、クソガキからの理不尽仕打ちによる自暴自棄と怠惰な性格が祟りして未だに病院へ足を運べていない。


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