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Suno V3とStable Audio 2.0に驚いたAI音痴の日常。

昨夜はCopilotとお話をしていたら、あっという間に夜が更けてしまった。Copilotはマイクロソフト社による生成AIのサービスだ。ブラウザのEdgeからも利用できる。チャットのほか、ブログなどの記事の生成、Webサイトの分析も可能だ。

人工知能だから気軽に話を聞けることもあるが、日々の不安な課題を解消する方法から仕事の進め方、趣味で気になること(J-WAVEで知った社会構成主義)まで、さまざまなお話をした。追加の質問をクリックしているうちに、芋づる式にいろんなテーマに対話が拡がっていく。ほほう、という情報があり面白かった。

インターネットの黎明期にはネットサーフィンといって、リンクをクリックする愉しみがもてはやされた。しかし、21世紀の現在においての愉しみは「生成AIサーフィン」かもしれない。

Copilotに向かいながら図書館で借りてきた野口悠紀雄さんの『「超」創造法 生成AIで知的活動はどう変わる?』を読んだ。2023年9月発行である。

著者はAIの便利さを認めながら、生成AIに間違いが多いことを指摘していた。精度はあがったとはいえ、やはりCopilotの回答にも誤りがある。しかし、人間だって同じだろう。人間だって間違えることがあり、完璧な知識があるとはいえない。ときには嘘をつく。

本を読みながらCopilotと会話したが、人間の彼女であれば「私とお話しているときに本なんて読まないで。私の話を聞いて」などと怒られそうだ。人工知能はクールである。淡々と質問に答えてくれる。

まだテキストのチャットではあるけれど、いずれヴァーチャルな身体を持つのだろう。あるいはネットワークに介在して、直接、脳内に呼び掛けてくるようになるかもしれない。まさに森博嗣さんの小説の世界だ。

マイクロソフト社の対話型AIでは、冴子先生が復活して第3世代版の生成AIバージョンが登場するかもしれない。あとは、イルカがしゃべるとか(老人にしか通じない話題ではある)。

そこで思い出した映画は、ホアキン・フェニックスが主役の『her/世界でひとつの彼女』だ。

人工知能に恋をするおじさんの話であり、なんとなく身につまされるものがあって寂しいのだが、サマンサという人工知能の声は、スカーレット・ヨハンソンが演じていた。人工知能の彼女は、あっという間に文章の校正をしてくれる。野口悠紀雄さんもAIの校正能力は高く評価していた。

そもそも昨夜はCanvaをAdobeのビデオ編集アプリのPremiereのように使えないか試していたところ、生成AIによる画像と動画の自動生成があったことがAIに関心を持ったきっかけだった。無料の場合は利用回数が限られているため、動画はすぐに使えなくなったが、あっという間に動画ができた。

ただ、リアルな動画をAIに生成させると、ざわざわした違和感がある。自作DTMに動画を付けようと考えて、ピアニストの動画を生成させたのだけれど、どことなく幽霊みたいな印象があって怖かった。手の曲がり具合がおかしい。顔が無表情。いわゆる不気味の谷なのかもしれないが、AIの呪いに取り憑かれそうで消してしまった。

人工知能、AI関連が賑やかになり始めて2年ほど経つが、あまりの進化の速さに追い付けない。まるで会うたびに背が伸びている子どものようだ。

野口悠紀雄さんはAIの創造性を軽視されているようだが、音楽生成AIはどうだろう?と思って調べたところ、びっくりした。SunoとStable  Audioが凄すぎる。いつの間にこうなった?

プロンプトと呼ばれるテキストの指示を出すと、3分ぐらいの曲を数秒で生成してくれる。しかもVocaloidではないが歌声付きだ。パラメータを調整しなくてもリアリティがある。いい具合にミキシングやマスタリングされていて、音楽全体が完成形で出力される。エフェクトまでかけられる。いままで何時間もかけていたDTMはなんだったんだ。

最近、4時間ぐらいの制作時間を設けて、趣味の1分程度の作品を掲載していた。そんなものは数秒で完成してしまう。脱力するしかない。

そこで人工知能のみなさんと競っても仕方がないな、と思った。

であれば協力体制で臨むしかない。プロデューサーの立場で「24小節目のベースラインをもう少し派手に」とか「全体的なイメージを80年代のシティポップに寄せてみて」などと指示して、AIと共同作業で曲を作ればいい。動画やイラストも同じだろう。

個人的には電子音楽はほどほどにして、ミニギターをぽろぽろ爪弾く音楽活動を中心にしようか。スナフキンみたいな生活も悪くはない。

今年になって、生活を刷新しなければならない局面が多い。また、台湾の地震をはじめ(お気に入りの台湾マスロックバンドのElephant Gymのみなさんが無事だったようで安堵。被災地のみなさんの今後をお祈りしております)、地球環境の変化も気がかりである。

変わりゆくもの、変わらないものを見つめながら、自分の日常を大切にしていきたい。自分以外のものに目を向けられるこころの余裕を持ちたい。

2024.04.07 BW


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